今回も中国語中級はなし。そのため、いつもの憲法学に加えて今年は歴史学を履修することとした。
歴史学は日本史における「金(きん)」がテーマ。担当の田村先生のご専門が金融、消費者、経済がご専門とのことで、ゴールドを表のテーマとしながら、裏のテーマとして日本の貨幣史についてのお話が聞けるような気がして選択した。
第1回目と第2回目の講義が終わったところで、平安時代までの金の流通と貨幣経済の状況の観点から講義の内容をまとめておきたい。
(1)金資源について
同時代までの日本の金資源は東北の砂金がほとんどだった。佐渡の金山が開発されたのは徳川期に入ってから。銀は中世まで対馬のみ。そのためほとんど流通が確認されていない。
砂金は灰吹法によって
(2)どんな利用がされたか
古代の主な利用は儀式や権威を示すもの(例:奴国の金印)
中世では宗教上の目的(仏教の仏像)、平安時代になって工芸品が作られるに至ったが、貴族階級のさらに上層部に限られた。
(例:楊貴妃についての逸話には金が何回も登場するが、小野小町については登場しない)
(3)メッキ技術
アマルガムメッキ法(水銀を使用する方法)が4世紀から7世紀(古墳時代)に普及しており、古墳から見つかる青銅器にはメッキが施されているものがある。
(4)金貨の流通
中世まで日本では金の貨幣の流通はほとんど見られない。その原因は貨幣がそもそも流通していなかったため。荘園ごとに完結した経済の中で、
(5)貨幣への利用
金と銀、銅は加工が容易であることと、希少性から価値が認められ、信用がつきやすいこと、劣化しにくいことなどから世界各地で貨幣として利用されてきた。
(番外)貨幣について
物々交換に対して貨幣の優れた点は、保存が可能であることと計量と運搬が容易であること。
高校公民の教科書では「交換手段」「価値尺度」「価値蓄蔵手段」としてまとめられている。ただし、そのためには流通量を管理する主体が必要で、現代では中央銀行が発行を法律などで独占している。中世には証券のようなものが利用されていたことがある。
日本における貨幣の流通は、中世まではあまり見られない。教科書などに載っている「和同開珎」は律令制度下で作られた「皇朝十二銭」の最初のもの。公共事業の支払いなどに使われたが、地方の有力者が権威を示すなどの理由で蓄蔵してしまったため都に戻らないことからほとんど流通せず、また地域間の物資の流通がほとんどなかった(荘園経済と戦乱などが要因)ことから利用は非常に限られていた。今昔物語には金をわざわざコメに換えてからでないと家が買えなかった事が描かれている。
(6)史跡
東大寺大仏は金メッキされていた。
中尊寺金色堂は奥州藤原氏の時代に金が採取されていたことを示すもの。
後時代になるが、伊達時代の仙台付近において(気仙沼)4大金山とされていた金山は、その採掘権が日露戦争の対外借款の担保にされた。
以上