信州自治体学会パート4

11月に小諸市で開催された信州自治体学会記録の続き。
 同学会で「商店街振興組合」についての話題が出た。私は以前関連する仕事を少ししていたが、発言しそびれたためここに記録しておく。詳細は書ききれないため省き、概略のみ。

◆商店街振興組合とは
中小企業である商店が商店街を形成するとき、共同事業を行う際に法人化が必要になることがある。そのために作られた制度の一つ。
共同事業例:アーケードの設置と保守、駐車場事業、共同販促事業など

◆根拠法
商店街振興組合法
 複数の中小企業でつくる法人は、他に「事業協同組合」「商工組合」などがある。後2者との違いは、許認可権が市にあるため、市役所の中心市街地政策のひとつとして考えられて来た。
 ちなみに、各地にある金融機関「信用組合(けんしん)」も、これらの仲間。銀行の顔をして実は中小企業団体の仲間なのである。

◆設立
設立には認可が必要。以前は許認可権が県にあったが、市に委譲された。
設立要件は30人(社)以上が近接していることと、二分の一以上小売またはサービス業に属することなど。大規模な商店街などでないと設立できないことになる。

◆組合の事業
「アーケード」「駐車場」「街路灯」「カラー舗装」などを共同出資で設ける組合が多かった。
他に倉庫、共同購買や運送、検査などもできるが、90年代の長野県内の組合の多くは先に挙げた2事業がほとんどである。
組合は組合員のために営利事業もできる。剰余金が生じた場合は組合員に配当が可能。

◆出資と選挙権
出資口数にかかわらず、1人1票である。
出資持分の譲渡は組合の承諾が必要。このことは、同組合のつくるアーケード内に出店する店を周囲の店が選ぶことができるというメリットがあるが、デメリットとして障壁ともなった。
脱退することもできるが、脱退が多くなると1店あたりのアーケード維持にかかるコストが大きくなるというデメリットがある。(これがアキレス腱となったという考え方もある)

◆主な収入
(1)事業収入 
たとえば、駐車場を組合で所有し、駐車料金などを収入としているところがある
(2)組合費 共同施設維持のために徴収している

◆雑感
以前の仕事を振り返り、同組合にまつわる知識をメモしておく。

(1)同制度ができた時代背景
 経済が右肩上がりの時代、かつて、中小企業が集まって組合(法人)をつくり、スケールメリットや単体ではできない事業を行う際に設けることが多かった。
 「商店街振興組合」は比較的大規模な商店街がこの法人格を取得し、日本各地にあった。(中小規模の商店街は「事業協同組合(設立は4店以上)」などを選択した)
 制度ができた当時、市街地への大規模店の出店が相次いでいる時代だった。「駐車場がある」「雨に濡れずに買い物ができる」大規模店に対抗し、地元市街地の商店主が自らを守る手法としてアーケードを共同出資で設けることがしばしば行われた。
 ただし、大型資産を商店主たちの共有名義とすることは設置、維持や退店時、経費負担や財産の帰属問題が生じる。そこで、商店街に立地する商店主たちが共同で法人格を取得し、その法人がアーケードなどを所有する法制度が作られた。
 商店主たちが集まって共同化の合意形成をするところもあったが、市が中心市街地施策のひとつとして主導することも多かった。

(2)振興組合の転機
 昭和後期、マイカーブームが転機となった。「高付加価値商品の販売を中心とする市街地の時代」から、「低廉な価格で多様な商品を販売するロードサイドの時代」に変わった。当初は順応して生き残る商店も多かったが、商店街からの退店が相次ぐようになり、人通りが少なくなると市街地の大規模店も中小商店も経営は一層厳しくなった。
元々商店街は業態によって大きく売上額や収益率が異なる。組合の成立前提条件は各店が同程度の費用負担に耐えられることであったが、多様化の進む時代の中で、組合の存続意義が問われるようになった。
 バブル崩壊後は店舗の減少、売上の減少が顕著となり、共同でのコスト負担が困難となった。補修されないアーケードが放置されている商店街を問題視した市役所などが解体を指導した例もある。
 売上の問題だけではない。中小企業組合では共同事業には強いリーダーシップが必要であるため、キーマンとなる商店主の力が重要だった。しかし、創業者の時代が終わり商店主同士の強い連帯で商店街を維持するよりも、多様な商店経営の方が現実的な時代となった。共同で資産を維持するコンセンサスはほとんど失われていった。
 アーケードなどの維持の必要がなければ、法人税などがかかるだけの法人格を廃止し、任意団体としての商業界組織の方が良いため多くの組合が解散を選択した。00年代には多くの組合が解散を選んだ。

 アーケード解体の損失は経済的な損失だけではない。人のつながりに大きなヒビを入れてしまった例が少なくない。そうしたリスクを避けるための組合組織であったが、組合その存続そのものを自己目的化してしまった場合は、人の消耗は避けられない。いわゆる官主導による無理な「箱物行政」による人的ネットワークの損失と非常によく似た構造である。

◆他の事例
(1)上諏訪駅前商店街の例
大型デパートの経営難を機に、上諏訪駅前はアーケードを00年代に一斉に取り払った。維持が困難であるという理由もあったが、同地の商店はアーケード設置前の商店建築意匠が優れていることに建築士などが着目し、積極的に捉える動きがあった。実際、よく見ると面白い意匠が多い(参考:「看板建築」by藤森照信
(2)下諏訪町御田町の例
アーケード設置に全国的に動いていた時代に、同商店の商店主は「共同資産を持つと商店経営に支障が出る」と合理的に判断し、各店舗が各々店の軒先を広く伸ばし、事実上のアーケードを作った。結果として空き店舗の時代にも大きなダメージを残すこともなく体力を温存することができたことが、後の「空き店舗なし」の時代に繋がっていったという側面がある。
したたかな当時の商店主たちに頭が下がる。もしアーケードなど設置していれば、町役場が公的資金を投入してアーケード解体などを行う事態になっていたかもしれない。
(3)共同店舗化(飯伊地域や下伊那
 各地で商店街共同事業が盛んになった時期に、商店街ごと引っ越して共同店舗をつくる道を選んだ商店街もあった。長野県では飯伊地域や下伊那が非常に活発に共同店舗化を進めた。
 いわゆるチェーンスーパーではない店は、ほとんど前身は中小企業による法人組合である。同地域で共同店舗化が多見されるのには興味深い事情があるが、私も知らないことが多いため今回は割愛する。

◆余談
もし、同組合の組合員資格に「地権者」が入っていたら、もう少し違った顛末になったのではないか。日本の商店街組織の問題点は地権者と共同で協議する場がないことである。うまくいっていると紹介される商店街の大半は、地権者との合意形成の仕組みがあることである。