村上さんとの思い出

参加させていただいている岡谷市で行われている書評会「岡谷で読み紡ぐ会」の次回テーマ本は浦野理一氏についての本である。着物に詳しい方なら知らない人はいないだろう。「ミセス」で着物についての連載をもち、着物界のリーダーの1人だった。

浦野理一氏は染織工芸家と言われるが、着物をよく知らない人にはの作家、デザイナー、専門家というのが一般にはわかりやすいかもしれない。大正、昭和と着物が廃れずに進化を続けてきたのは、浦野氏の力が大きかったと言える。

例えば小津安二郎の名画に出てくる着物は彼の作品である。伝統的なスタイルを受け継ぐだけでなく、独自のスタイルを生み出していったことで、昭和期の着物の全盛期を作ったことで知られる。多くの着物を好む人々に支持された。

 

浦野理一氏は下諏訪町と縁がある。

浦野理一氏は織の工場(工房)を下諏訪町に持っていた。優良な繭が手に入ることから諏訪地方には製糸産業が盛んだった(あるいは因果関係はその逆なのか?)が、そのうちの織物工場が売りに出ていることを知った浦野氏は、買収して自らの着物製作の拠点「浦野繊維工業」を設立した。浦野氏の作品の多くは下諏訪町で織られたものだった。工場は次男の範雄氏が受け継いだが、質の良い国産繭の入手ができなくなったことから2012年に閉じた。

浦野氏の作品の特徴は「ひょうたん糸」という玉繭からわざと節ができるよう調整した糸を使うのが特徴だった。普通は横糸にのみ使うが、浦野繊維では縦と横の糸に使った。そのため高度な織の技術が必要となり、熟練の職人を必要とした。

職人の1人、村上彪(たけし)さんの当時のメモが大量にこの本に収蔵されている。

村上さんには個人的にお世話になった。私の実家のあった下諏訪町東山田に住んでいらっしゃったため、子どもの頃は地区の行事でしばしば顔を合わせていた。そんな凄い方だったと知ったのは、私が商店街にものづくり工房を誘致する活動をするNPOに参加していた時だ。「空き店舗にものづくりを行う工房を誘致しよう」として始まったこの活動の最初の1人が村上さんだった。村上さんがいなければこの活動は順調に滑り出すことはなかっただろう。事業がうまくいかずに、あるいは事業が成功して転出が決まるなどして他の工房が撤退する中、村上さんはずっと頑張って残ってくれた1人だった。

商店街の空き店舗はその構造上、照明など工房には適していないところがある。村上さんであればもっと条件の良い場所で開業もできたが、私たちの活動を理解して力を尽くしてくれた。村上さんの貢献がなければ下諏訪町の御田町商店街に工房が集まってくることもなかったと思う。この活動が成果を出さなければ、今のような下諏訪町の開業ブームは来なかっただろう。「下諏訪町にはおしゃれな店が最近多いよね」と言ってもらえるが、勇気と根気のいる最初の1人となった村上さんがいなければ、今の下諏訪町はなかった。残念ながら先年亡くなってしまったが、もっと村上さんとお話をしておけばよかったと思っている。

 

工房は他にも岡谷市に「宮坂覚郎織物工場」があった。染織工芸家の宮坂氏が53年に開業した。全盛期の浦野氏を支えた。

職人はベテランの女性たちだった。宮坂氏は彼女たちを毎日送り迎えしていたという。

この本、町の図書館にあるのかな。

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