満洲分村移民を拒否した村長

満洲分村移民を拒否した村長 佐々木忠綱の生き方と信念」という本がある。著者は大日方悦夫さんという方だ。

12月初めに下諏訪国際交流協会の講演会でお話をお伺いすることができた。

 

日本人の多くは「旧満州」あるいは「満州」と呼ぶ。中国語では「偽満」、単に地域を指す言葉としては「東北部」という言葉もある。呼称が明確にそれぞれの国民の見方の違いを示していると思う。日本では当時も現在も彼の地は満州族の土地であり、日本はその独立の手助けをしたのだと考えている人が多い。ところで一方で「満州で中国に迷惑をかけた」と考えるなど、この思考の捩れは一体どこから生まれてくるのだろうと不思議に思う。

実際に同地に行ってみればわかるが、昔から漢族、満州族モンゴル族などが昔から住んでおり、そのほかにも少数民族の住む土地である。古代からいくつもの国家の盛衰が見られた。中原地域とは異なるところはあるが、この地域を中国ではないとするならば中華民国(当時)の多くの地域が似たような状況であった。

話は本題に戻る。

講師の大日方先生は元学校教員、学校長をつとめた。その傍ら長年にわたって同地への移民を全国で最も強力に推進した長野県内の状況を調べ、表題の本を書かれた。先生には他にも長野市空襲の記録などについての著書がある。

講演会は満蒙開拓団による移民を強力に推進した県内の市町村長の中で、特異な行動をとった佐々木氏についての話だった。氏は大下條村の村長(現在の阿南町、役場周辺の地域)としてこの時代を生きた。村長になるまでとその後のお話から分村移民を佐々木氏がどう考え、どう行動したのかを中心にお話しいただいた。

農村の疲弊、移民の必要と対ソ戦の備えとして「満州移民」を国は強力に推進した。農業の近代化の遅れから人口過剰を抱えていた当時、沖縄はハワイや南米への移民が行われたが、長野県は東北部への移民が進められた。

応募者は目標に比べ少なかったという。日本国内にも未開墾の土地は多く、わざわざ海外に行く必要はそもそもなかった。目標達成に窮した国は、各村に「分村」という形で開拓団を作らせ、ノルマを課す制度を設けて移民を推し進めることとした。

佐々木氏が村長をつとめる大下條村にも他村と合同での分村移民要請がきたが、佐々木氏は同意せず、しかし旗幟を鮮明にせずに抵抗する形で被害を最少限に止めようと努力したという。なぜ氏はそのような行動を取れたのか。

私が講演で最も興味深く感じたのは、全体主義の恐怖と同調圧力の中で、なぜ佐々木氏が「これはおかしい」と考えて抵抗できたのか、ということだ。

佐々木氏が若い頃に下伊那地域で行われていた青年たちの学習活動の大きな影響を受けていたという。長野県のような地方において若者の多くは就学の機会が当時なかった。そこで青年組織が知識人を盛んに講師として呼んで、さまざまな講座を開設し学習をしていた。佐々木氏はそうしたグループのリーダー的な役割を果たしていた。実に熱心に学習活動を行っていた記録が残っている。氏は長野の山村にありながら深い教養を身につけた一人だった。

村長になるときに学習仲間が氏を支援した。仲間たちはブレーンとしてだけでなく、活動や事業においても佐々木氏と行動を共にしている。戦後の引揚者の受け入れに奔走していた際に、その仲間たちは富士山麓の開拓などのキーマンとして佐々木氏と共に活躍している。

佐々木氏の考えが後世に伝わったのは、国が村長たちを「満州」へ視察に派遣した際に同行した仲間に佐々木氏が語っていたことが残っているからだ。すでに作物が実っている土地を強制収容し、そこに日本人を連れてこようとしていることに気づき「こんなものは移民ではない」と言い切った。それは、これまで氏が仲間と共に培ってきた教養と勇気がそうさせたのだろうか。

知識は勇気の裏打ちがなければ意味をなさないと考えさせられる。

佐々木氏は村民を守るための最善の措置を冷静に取っていく。明確に反旗を翻せば村長の座と村の主導権を奪われ、国に明確な回答を返さないという形で抵抗したと言う。

行政の立場で言えば「何もしなかった」。「何もしない」ことを「する」と言うのは、実に難しい。現代でも勇ましく改革を唱えていた首長が最後の年に高コストの不要不急の箱物を作ってしまう例は枚挙に遑がない。「何もしない」ことが何を意図しているのか、はっきりと自覚できる深い教養がなければできないことだ。

その佐々木氏も希望して渡満する方々を止めることはできなかった。その彼らの一部が生還したが、彼らの生きる道のために戦後佐々木氏は仲間と共に奔走する。

日本の戦争の正当性を強調し、その価値観を押し付けるのが昨今の流行である。再び日本は過ちを繰り返そうとしているかに思える。佐々木氏の事績から私たちは何を学ぶべきなのだろうか。知性と教養のために学ぶことをやめてはいけない。どのような同調圧力にも負けない勇気を持たなければならない。