三澤勝衛先生について

ひょんなことからとなり町での読書会に参加させていただくこととなった。

今回の本は「諏訪式。」という長野県諏訪地方を取材して書かれた本である。諏訪出身の人物を紹介しつつ、風土にも言及している。

取材した際のキーマンのせいか、私の知る諏訪地方とはだいぶ違った姿が筆者の目には映ったようだ。「諏訪」と言いながら、茅野市についてはあまり取材されなかったようだ。原村は農業大学校だけ。富士見町については何一つ言及がない。

岡谷市の製糸と諏訪清陵高校、エプソン岩波書店下諏訪町は元町議で作家の市川一雄さんの周辺と下諏訪町の現在、という随分偏っている。それだけに読み物としてスラスラと読めた。

北沢工業、精工舎三協精機岩波文庫などの創業者たちの話や、片倉氏をはじめとする製糸業に関わった人々の話や、建築家の藤森照信氏と伊東豊雄氏、御神渡りと宮坂宮司、今の下諏訪の若者たち、、、と多岐に渡っている。

 

「どうやって最後をまとめるのだろう」と思っていたら、最後は旧制諏訪中学の三澤勝衛先生だった。同書の言うように「大正期の自由な信州の教育風土が生んだ代表的な教師像」かどうかは私にはわからないが、生徒自身に考えさせ意欲を引き出し、野外調査を積極的に授業で行った先生のことは同校出身者なら聞いたことがない人はいない。

先生が育てた生徒の中からは各界で功績を挙げた科学者が何人もいる。

この本の終わりの方で、三澤先生の言葉が紹介されていた。今の私に水のように染み込んでくるような言葉だった。

大正から昭和初期にかけて人々が議会制民主主義や自分たちで考えることを放棄し、対外的な発展に望みを託すようになっていく時代に、三澤先生はこんなことを言ったのだそうだ。

「今日、地方の疲弊は相当深刻である。地方の持つ文化が、その地方の風土性に立脚することを忘れて、いたずらにいわゆる都市文化を追従してきた結果であり、地方性に即した文化の建設ということが、もっとも正しい地方振興の意義」

 

少子高齢化、いや高齢者すら減少に転じ始めた下諏訪町の閉塞を打破しようと、「観光業」に期待する人々が再び現れている。

「地域がダメならどこかから資本や客を連れて来ればいいじゃないか」という安易な発想に言葉もない。同様の言葉がこの町の声の大きい人々によって唱えられるのは、これで何十回目だろう。

自分で考えて自分たちで起こした産業以外、下諏訪町では過去にも現在にも成功していない。未来においてもそれは同様であるはずだ。

そうして作り上げた街に観光客が来れば、結果として楽しんでくれるかもしれないし、そうでないかもしれない。観光業とはそういうものである。

同書の書名である「諏訪式」とは、製糸業の時代に平野村(現:岡谷市)の武居代次郎により作られた「諏訪式糸繰機」から来ているのだと思う。

www.akishobo.com