第8章「教師ー聖職という桎梏」に書かれていたことで閉口したことがあった。
教師又は先生の仕事内容は、あまりに身近に感じている人が多い。だから自明のことだと考えている、という内容がある。ここでは国の公務員制度の中にいる立場と物事を教える専門職としての立場の2つがあることに言及するためにそのような説明がされているのだが、個人的に気になったのはそこではない。
身近に感じているから仕事内容を自明のことだと考えている人がいるということだ。
そうか、だから学校への無責任な「意見」や「クレーム」が生まれるんだな。知らないことに気づけないことは恐ろしいことだと思う。これではまるで1億総クレーマー化ではないか。
大抵の人は学校についての報道を見た時しか学校教育に関心を持たない。そして考える材料は自分が児童生徒だった時代の断片的な出来事だ。当時の自分の先生がどんなことを考えていたのかへの洞察もなく、自分の当時の記憶に頼って批評しようとする。
問題点は挙げるまでもないが、整理しておきたい。
1)あなたが児童生徒だったのは何年前のことか。それから学校がどれだけ変化したか把握しているのか?
2)自分が不当な扱いを受けたという思い出の部分だけを切り取って、それを現在の学校の出来事に当てはめれば、視野が歪むことになる。それに気づいているのだろうか。
3)当時のカリキュラムや担任の先生、関わった教員にインタビューをしてみて初めて全体像が見える。見えていないのになぜ批評して良いと思うのか。
4)当時の自分の記憶は正確か。昨夜何を食べたのかもよく覚えていないのに、なぜそんなあなたの記憶を頼りに国の政策を変えて良いと思うのか。
学校批判への回答に対してこれらを上手に、オブラートに包んで伝えられるようになりたい。
脱線してしまった。
本章の内容は上記の内容とは異なる。
教員が公務員組織の1部であり、国家の都合の良いように子供達を教育するように社会化することを要求され、その一方で専門職としての独立性、自由裁量性などからそれに見合った処遇を求めることから、2者が対立しているという問題がある。
第二次対戦後にILOとユネスコは共同でCEART(セアート)という6名の世界の有識者からなる協議会を立ち上げた。同協議会は「教員の地位に関する勧告」を出した。その内容は教職に関する理念、教員養成から労働時間、休暇、給与に至るまであらゆる面を網羅したものである。教職に関する国際憲法とも言われる。
その中で定められる教職の専門職としての定義が重要そうなので全文引用する。
「教職は専門職と見なされるべきである。この仕事は厳しくかつ長期にわたる学習によって獲得され、維持されるような専門的知識と特化した技能を必要とし、また、個人として、あるいは共同で担当する児童生徒の教育と福祉に関しての責任を果たすことが求められるような公共サービスの一形態である」 CEART「教員の地位に関する勧告」
人数構成の国際比較では日本では小学校教員のうち女性教員が増えている印象を受けることがあるが、国際的に見ると少ない方だ。CEARTが日本の学校を視察に来た際に、対応した各地方の教員が全員男性であったことに驚いたというエピソードがある。
教員養成課程の国際比較については、日本は実習にあまり重点を置いていないことがわかる。戦前戦中の師範学校に養成から戦後は「開放制教員養成」に仕組みが変わったという背景がある。
大学短大の学部に関わらず必要な単位を取得した者には教員免許状が与えられる。全体主義教育を独占的に行ってきた師範学校制度への反省から策定されたが「ペーパーティーチャー問題」が発生している。
小学校教員の場合は朝から下校時刻までびっしりと授業が入っている。授業を用意する時間は取られていない。日本の学校は補助的な事務や作業を行う職員が極めて少ないことから、学校教員がこれ以外に校務分掌を負っている。昨年起きた川崎市プール水道料請求事件では、マニュアルになかったことから水道が止まらなかった事態に対応できなかった教員に対し、川崎市長は水道料を請求するという挙に出た。川崎市以外にも同様の請求事件が起きている。
このような状況下で「教員は専門職」として自己の技能技術の研鑽を積まなければならないというのは不合理だ。カリキュラムが大幅に増えたこの10数年の現状を見れば、1日の半分を教材研究に費やせるようにしなければならないはずである。
当然現場教員のストレスと心身の病気が増加している。学級規模が世界的にみて大きい。
指導力不足に認定される教員が2004年をピークに減少に転じているが、一定数の処分がすんだことによる減少である。2010年以降は公的な集計も公表もされなくなっている。
テキストの内容は以上だが、「教育の軽視」と言わざるを得ない状況に言葉もない。