外国籍住民はいかにしてこの街を「ふるさと」と思うのかという問題

 

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同書はイラン出身のナディによる、日本にやってきた在住外国籍住民について、当事者目線によって書かれた本である。

「不法滞在の外国人」と聞いて、多くの日本人は顔をしかめるだろう。

この本の著者はそんな「外国人」として両親に連れられて日本にやってきた。不法滞在時代の子ども時代に学校に通えるようになり、その後特別在留許可を得て日本で進学、就職、結婚をして今に至る。その軌跡が彼女の目線から物語のように書かれている。

本自体は小学生向けで学校図書館などで見かけることがあるが、大人が読んでも十分に読み応えがある。

 

彼女が来日する直前、彼女のいたイランではイランイラク戦争が終わり、イランには荒廃した国土が残された。著者のナディは今も小さな頃の空襲の記憶を残している。彼女の家も戦争の惨禍で家業が傾き借金取りに追われる日々だった。観光ビザで渡日し働くことを考えたお父さんがきっかけだったと言う。

 

お父さんが単身で渡日する予定だったが、家族を残して行くことの不安から家族4人で渡ることとした。問題は受け入れ先にそのことを相談していなかったこと。「日本語ができる男性が1人」のはずが家族全員来たことに社長は不信感を持ち、受け入れないと抵抗する。しかし、子どもの様子を見て最後には夫婦を2人とも雇用することとした。しかし、両親は子どもたちを2人とも家に置いて働きにいくことになる。母と離れる不安から弟は連日泣き叫び、ナディさんは弟の世話に力を尽くす。

 

異文化ゆえの失敗談も多い。

買い物の時豚肉を避けることに苦労したこと。ゴミ捨て場に停めてあった自転車を捨ててあると勘違いして乗ってきてしまい、泥棒と間違われて家族で謝りに行ったこと。出前の食べ終わった食器を捨ててあると勘違いして持ってきてしまったこと。

近所のおじさんが何かと気にかけてくれたこと。弟が迷子になった時、近所の人たちが一緒に探し回ってくれたエピソードは、日本社会と間に立つ人の重要性を示唆している。

肉の問題などは、店員に知識があればこんなに困らずに済んだ。多文化教育の必要性がよくわかる。

 

来日後父親は自分の兄、母親は父親を亡くした。それでも両親はイランへの完全帰国をしなかった。その理由について著者は子供2人の日本語が上達し始めたため、日本で学校に行けるのではないかと思い始めていたからではないか、と推測している。

 

 

彼女が日本の社会への正式な切符を手にしたのは、日本語教室がきっかけだった。日本語を学んだ彼女はあちこちで「学校に行くことが夢」と語り始める。日本語コンテストでの彼女のスピーチを聞いたある人が、市役所の職員(おそらく教委)に話をしてくれたことで、ビザなしで通学が可能となった。どんな手段を取ったのかわからないが、考えてみれば体験入学のような形なら外国籍の子どもでも、住民票がなくても入学させることはできる。「もっと早く誰かが気づけば」と私には思えたが、それでも著者はとても嬉しかったと記している。

 

だが、子どもたちの就学は滞在の長期化を意味する。母親が不安に思い母国の兄に相談すると、兄は迷うことなく日本の教育の質の高さを挙げて就学を勧める。学校長が学力を丁寧に聞き取り、1学年下に入学することになった。

漢字が読めるようになるまで、学校の勉強が一切進まない。保護者向けのお便りは彼女が解読し保護者に伝えなければならなかった。特に先生の手書きのお便りなどの判読が難しかったと書かれている。

 

父親や知人が警察に捕まる事件が何回も起きる。当時は政策上の都合ですぐに強制送還処分とされなかったが、それでも職務質問中に露見して送還される例があった。同書にも家に警察が来た時に、学校に通っていることを彼女が警察官に訴えてことなきを得るシーンがある。今ならば子どもがいても問答無用だろう。

 

この本の最大の魅力は著者目線のストーリー仕立てになっていることだ。度々彼女が危機に見舞われるたびに当事者になったように胸が痛くなる。しかし、その度に力を尽くした周囲の日本人たちには頭が下がる思いだ。

たとえば学校でイスラム教徒であることから体操着と水着、豚肉の問題を相談したときに、即座にあっさりと「いいですよ」と答えた担任の先生。事前に教職員内で相談があった場合の方針を決めておいたのではないか。

オーバーステイを理由に父親を捕まえようとした警察官が、子どもの訴えに解放するという場面がある。彼らの判断のおかげで著者は成長する機会を得た。今なら絶対に無理だ。

そして何より、彼女を支えた周囲の日本の子どもたちには言葉もない。一人だけ違う水着を着てもいじめない。給食に食べられるメニューがない時、デザートを自分の彼女に譲った友人。理科の進化論を受け入れられない彼女を励ました友人。仕事で学校での外国籍児童の就学の問題に関わったことがあるが、同級生たちが言葉の不自由をカバーしようと一生懸命になっていたのをよく覚えている。

(大人もこうだったらいいのに。少なくも自分はそうありたいと強く思う)

 

日本の受験制度を友人のお母さんが家に来て説明してくれたことから、中学生だった著者の未来が動き始める。受験勉強の戦いの日々は、言語上の不自由だけではなかった。強制送還の恐怖がつきまとった。大人の都合で子どもたちがこうした不安に追い込まれるのは、本当に見るに忍びない。

最近はオーバーステイを厳しく取り締まるためオーバーステイの外国籍住民と接する機会が少ないが、以前はいくらでもいた。健康保険加入が認められず、高額な医療費負担を避けて怪我が悪化してしまうことがあったが、著者も膝を悪くしてしまう。

個人的には健康保険加入は在留期間と切り離した方が良いと思う。怪我や病気の治療は本人のためだけではなく、勤務先や地域社会全体の質的向上をもたらす。健康保険料を要求することで義務は担保されているのだから、社会保障制度がフォローしても良いはずだ。

著者の一家は支援団体の援助を受けて特別在住許可を得て、ようやく強制送還を免れた。そして、11年ぶりの一時帰国を果たす。ビザがなければ帰国もできなかったからだ。

しかし、日本で育った子どもたちはイランでの帰省生活に違和感を感じてしまう。日本に戻ってからイラン人でもない日本人でもない、唯一残った自分のアイデンティティは「外国人」と言う、揺らぎの描写がある。日本人家庭に生まれ日本で暮らしているとアイデンティティで揺らぐことがどれほど深刻かなかなか理解できない。

 

大学はAO入試で受験の困難を乗り越えた。在学中はパン屋のバイトの面接を受けて、外国人らしい容貌を理由に断られたが、友人に励まされてコンビニに採用された。就職活動では容貌を理由に窓口業務のある金融機関などは諦めたが、あるメーカに採用される。著者はそう思っていないのかもしれないが、両親が工場で働いていたこともあったのかもしれない。後に同じく在住外国人の友人と結婚して子どもを持つところでこの本は終わっている。

本の終わりで著者は日本の「内なる国際化」の問題について言及している。つまり地域社会の国際化のことだ。滞在が長期化すると、子どもの就学のために日本に留まることを決断する人は多い。どんなに在留条件が厳しくても子どもの言語が原因で国に帰れないことはしばしばある。

しばしばヘイトスピーチなどて「ガイジンは国に帰れ」などという人がいるが、実際はそんな単純な問題ではないのだ。

日本は伝統的に外国人労働者を受け入れない方針を採用してきたとされる。しかし、実際には人手不足を補うためにさまざまな抜け道を用意してきた。著者の時代はイランなどからの観光ビザでの就労を黙認し、その後は「技能実習生」などと言う国際貢献に名を借りた労働者を大勢受け入れてきた。今の日本の経済的反映の基礎には、これらの非公認「外国人労働者」の貢献は大きい。しかし、中途半端な政策が招いた結果は非常に残酷なものだった。

彼らはさまざまな困難な中で日本で働くことになってしまった。同書には述べられていないが、その爪痕として日本で育った子どもたちへの支援が不足していたことから、地域の貧困の拡大再生産になっている。

著者も外国籍住民の子どもたちへの支援を訴えているが、特に言語問題の解消は急務であると思う。私が日本語教室ボランティアに参加している最大の理由は、地域の日本語教育政策オプションの不足を補うためである。

私の経験上「外国人を受け入れると治安が悪化する」と言う説は誤っている。治安悪化の主要因は貧困だ。貧困が解消されず、世代を超えて拡大再生産されるようになることを最も恐れなければならないと思う。

 

1990年代には強制送還者が五万人を超えていたが、近年は一万人以下に減っている。

それでも今もなお日本語しか話せない子どもが引き裂かれたり、送還前の収容が長期化するなどが問題となっている。

トラブルに見舞われる前に困難に陥りそうな外国籍住民を探し当て、問題を取り除く積極的な姿勢が行政には求められる。

排外主義を信じている人たちは、外国籍住民なしで今の日本はもう成り立たない現実を認めるべきだ。在留を「許可」するという体制は、ともすれば彼らの自由な発言を奪ってしまう。日本に「置いていただいている」と言う恩寵式の現在の政策は、彼らが十分に力を発揮する機会を奪っているのではないか。

 

労働力不足だから外国人労働者を受け入れると言う考え方は間違っているし、とても浅いと思う。労働力不は社会問題の一側面にすぎない。本当の意味で人として受け入れなければ、目下の日本の問題は解決しない。

その意味で外国人の生活改善の問題は、私たち日本の地域社会の問題であると私は思う。