つながる沖縄近現代史第15章「繰り返す沖縄ブームと基地問題」

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少し間が空いてしまったが、沖縄に関する勉強のための読書を続けたい。

第15章には冷戦後の90年代以降の沖縄社会について、沖縄ブームと基地問題の噴出、助け合いの文化の衰退などがまとめられている。簡単にまとめておきたい。

 

90年代になると本土のメディアによる沖縄イメージの形成が行われる。90年代からは音楽において沖縄出身者が注目を集め、日本国内を席巻した。連続テレビ小説では沖縄をテーマにしたものが人気を博した。

沖縄そのものを紹介する形ではなく、本土が喪失したものを沖縄が保存している文化を強調するような形が取られた。その演出は成功し沖縄は注目を集めることになった。それまで沖縄には日本人になることが要求され、いわば後進地域としての扱いが一般的だったが、72年の日本復帰以来独自の歴史経験がポジティブに捉えられるようになった。これらは観光事業とリンクし、復帰後の沖縄はインフラ整備だけでなく観光開発が急速に進んだ。ハイビスカスやブーゲンビリアのように元々沖縄になかった植物が植えられ、「南の楽園」の演出が行われた。

寡黙だった島の人々が饒舌になり、反共通語としての「ウチナーグチ」のアクセントを誇示する人々が増えた。

郷土への誇りを手放しに喜べないのは、沖縄イメージが現実を覆い隠してしまうことがあるからだ。

1)基地を巡る沖縄と本土との問題

「南の楽園」のイメージは「基地の島」の問題を隠してしまうかもしれない。NHKのドラマには基地問題は出てこない。基地によって作られた街の様子が異国情緒として演出に使われている。

冷戦が終わって「要石」としての役割終了を期待した島民は裏切られる。95年に辺野古移設の布石となる二つの事件が起きる。この年米国の発表した「東アジア戦略報告」で米兵10万人体制が維持されることが判明し、基地との共生が今後も続くことが明確になった。

もう一つは米兵による少女暴行事件が起きる。事態収拾のために嘉手納以南の基地閉鎖を発表したが、それは辺野古への移転を前提としたものだった。これ以来、基地問題は知事選挙の重要マターになり、大田、稲嶺、仲井眞、翁長、玉城、各知事は基地への賛否に揺れることになる。

また、何度反対の意を選挙で示しても「粛々と工事を進める」日本政府に対して、「本土の人は沖縄を理解していないのではないか」という疑念が県民の中に広がった。

 

2)沖縄内部の問題 共同体社会の解体

人情味あふれる助け合いの社会と言う自画像は沖縄における共同体組織の衰退を覆い隠してきた。複数の調査結果が県民としての一体感の衰退を示している。

2016年に県が独自に行なった「子どもの貧困実態調査」で全国平均二倍の貧困状態にあることが判明した。この調査以降、子どもの貧困は県政の最重要課題として認識されるようになり、世論調査でも「基地負担軽減」「観光振興」の26%を大きく引き離して42%の県民が関心を寄せる問題となった。

県民に衝撃を与えたのは問題の進行だけでなく、身近で進んでいた貧困問題に気づくことができなかったことだ。復帰によって「貧しく平等な社会」から「豊かで不平等な社会」に変わったことが指摘されている。また教員や公務員が復帰前は住民の声のリーダーだったのが、復帰後に本土並みの給与水準を獲得することで嫉妬と羨望の魔都となってしまった。内実を言えば特権階級と言えるほどの給与水準ではないが、電力、新聞、医者、銀行員といった安定した仕事と不安定な民間企業との二重構造は否定し難い。この階層構造は上部階級への進出のための受験競争の激化を招いた。

 

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沖縄ブームが作られたものであることは意識しておきたい。

また、2つ目の階層分化の視点はいずれどこかの機会でもう少し詳しく知りたい。

本土の地方都市にありがちな古くからの住民の既得権益層と、流入住民との格差のようなものは沖縄にもあるのだろうか。基地が造成される過程で変化はあったのだろうか。

また、沖縄の貧困問題と北海道のそれとはどんなところが違うのだろう。