旅立ちの日

「さくら」という名前は、日本人女性の代表的な名前の一つだと思う。日本人の間では女の子に花の名前をつけることは、一般的なことだった。

若い頃、知人の女性で「さくらさん」という方がいた。

どうしてそんな話になったのか忘れてしまったが、私はその方からお名前の由来をお聞きした。そのお話が大変印象的で今もよく覚えている。


お名前をつけたのはお父様だという。

桜は春になれば美しい花をつける。だが、それ以外の季節は普通の木々と変わることはなく、通常は誰にも気にもかけられない。

けれども、夏には葉を茂らせ大きく根を張り、秋には葉を落として冬を生き抜く。ソメイヨシノのような樹齢の短い園芸種もあれば、エドヒガンのような何百年も長命する品種もある。何代も大切にされる木もあれば、ある日無造作に切り倒される木もある。

たとえ人目を引くのが春の一時期だけだとしても、その最期の日まで誰にも目に留まらず葉脈を走らせ、懸命に生きている。そんな風に生きてほしい。お父様は名前の由来をそんな風に話してくださったと伺った。

それ以来、桜の季節になると今もこの話を時々思い出す。私は誰かの名前をつける機会はないだろう。けれどもこんな考え方のできる人になりたいものだと思う。

 

先月末に中国の友人親子が私の家から旅立って行った。お嬢さんの日本の高校への進学のために来日していたのだが、コロナ禍で国境がいつ閉じるかわからないため、受験のかなり前から日本に来る必要があった。

諸般の事情を考慮し、彼女の受験のための最善の環境を考えると、一般のアパートを借りるより私の家を貸した方がいいと考えた。相談を受けた時、私は自分の居住スペースを半年ほど譲ることにした。

その旨を伝えると大変恐縮していたが、非常時だからやむを得ない。疫病ごときで1人の子どもの人生が左右されるなど、私には到底受け入れられない。日本への進学を断念するようなことになれば、それはあまりに理不尽だ。何としても彼女を希望の高校に送り出してやりたい。私にも何か手伝いをさせて欲しい。そう強く思った。

私たちの共通の友人が生活に必要なものを整えてくれた。「彼女のために、できることは全てやろう」とその友人は言い、私たちはその通りにした。

厳しい条件の中で親子とも本当によく耐えたと思う。こんな異常な状況下で勉強を続けたその子には敬服せざるを得ない。わずか数ヶ月の間に見る見る成長していったのには内心とても驚いた。何より彼女の家族も力を尽くした。こんな異常な状況でなけらば、中国で十分に準備ができたのだが、振り返ることもなく努力する姿は、頭の下がる思いがした。


だから彼女が合格通知を受け取った時は、私も本当に、本当に嬉しかった。


3月のある週末、進学先のある街へ向かって行った。私は仕事を抜け出して空港まで見送りに行った。

あいにくの曇り空で小雨がぱらついていたが、飛行機が滑走を始めると、待っていたかのように太陽が差し込んだ。翼が反射して光ったかと思うと、小さな飛行機は離陸を始め、低く垂れ込めた厚い雲の中に飛び込んでいった。


今週、無事入学式を終えたと知らせを受けた。

今日、再び1人になった広い家を持て余しながら、部屋から見える桜を眺めていると、ウグイスの声が聞こえた。