アルバイト時代のこと

最近取り留めもなく、バイト時代のことを思い出す。

大学を卒業し公務員試験に全て落ちたことによっていわゆる「無職」になった。

池袋のハローワークに通いながらできるバイトは、日雇いか夜のバイトだけだ。

日雇いは物流会社の新宿営業所だった。再開発に取り残されたような場所にあったその薄暗い営業所は、毎日電話で申し込んでOKが出ると、朝8時に集合するスタイルだった。私が通っていた頃は大手企業のリストラが続いていた頃で、4人1組になりトラックに乗り込んで、都内の営業所の片付けに出かけていった。

あのバイトで私はそれまでの人生で会ったことのない人々に出会った。いや、本当は会ったことがあったのかもしれない。ただ、私が気づかなかったのだろう。

元薬物中毒患者、元在監者、元ヤクザ、精神疾患の患者。日雇いに集まってくる人の多くは、昼間正業につけない何らかの事情を抱えた人ばかりだった。ひどい時は重い荷物を運べるのが私とドライバーだけで、残りの2人は少し動くと座り込んでしまうような人たちだった。お互いのことには立ち入らないようにしていたが、私のような若いバイトは珍しかったのか、帰りのトラックの中で自分のことを少し話してくれた人が何人かいた。正社員ではなかったが、私にとって最初の「同僚」は彼らだった。

彼らからはここには書ききれないほど様々なことを教わった。ケンカの時の矛の収め方、収監されるとどんな目にあうのか、薬物からどうやって立ち直ったのか、破綻した家族への想いを少し話してくれた人もいた。

それから10年が経ち、転職した地元の役場で国民健康保険の担当に配属された。窓口に事情のある方々がくると、私はすぐに気がついた。

新宿のあの営業所で出会った人たちは、何のことはない。私の街にも大勢いたのだ。

ただ、私が気づかなかっただけなんだと。

 

自分が行政に転職して何がしたかったのか。

いわゆる「出世コース」には全く興味がない。

最近流行の「スーパー公務員」さんたちのようになりたいかと言われれば、あえてなりたいとは思わない。

では、本当は一体何がやりたかったのだろう。

行政の中にいて一番腹が立つことは住民を巡る理不尽さの存在だ。

困って相談に来た人や、うまくコミュニケーションが取れずにクレーマー化してしまう人を馬鹿にし、まともに取り合おうとしない職員の存在だ。

 

「怒りを仕事にする」ということを聞いたことがある。

彼らがそれなりに楽しく日々を送ることができ、公平に扱われる社会を実現したいものだと思う。