希望的観測はやめようと思う

たまには自分の頭で考えたことを書いてみる。

政権が交代し、不合理な政策が次々に打たれている。

それについての識者コメントを見ていると、旧自民党だけでなく民主党にまで自民党時代が懐かしい人たちがいらっしゃるようだ。
私は民主党には何も期待しない。というか、民主党でなくても期待していない。今、日本の政治に何の力も無いからだ。将来のために消費税を1%でも上げられる政治家が一人でもいるだろうか?

ただ、民主党には一つやってもらわなければならないことがある。自民党自民党的なものの命脈を絶つことだ。
自民党の政治とは、若い人や子ども達の金を、自分達の世代の医療費や年金、自己満足のための箱物のために使ってしまう政治である。若い人たちに政治の意味を誤解させ、彼らが背を向けている隙に美食の限りを尽くしているようなものである。そういう体制を守るために、政治家を世襲制にしたのも彼らである。

小沢一郎は悪人だ」と決め付けて、彼を追い落とせば日本は二度と立ち直ることはない。

いや、正確にはもう「立ち直る」可能性はないと思うべきだろう。

彼らの持つ「立ち直った」というイメージは高度経済成長時代かバブル時代の異常な時代のそれだからだ。誰も口にしないが、そういうことなんだと思う。
日本の実力は、現在よりももっと下のはずだ。
かつて世界の工場として猛威を振るった日本の工業は、すでに昔日のものとなっている。製造現場の多くは中国へ移った。「設計技術は日本には追いつけない」などと言っている人が沢山いる。だが、これらは何の根拠もない。彼らの信仰によると日本には作りこみの文化があるそうだが、それらは全て現場によって織り成されたものだ。現場が無い以上、失われるのは時間の問題である。

いや、彼らもそのことはわかっているのだろう。
彼らの信仰の根拠にあるのは、おそらくは「日本人は中国人より優性人種である」という選民意識だ。「戦争犯罪」で批判されるとすぐに土下座してその場を取り繕い、真摯に戦争の経過を見直して、反省してこなかった結果だ。日本人にできたことが、何故中国人にできないと思うのか。