国民は本当に小さな政府を望んでいるのか

現実に腐った公務員はいるし、だめな役所はある。とぼけた政治家もいるし、自分でものが考えられない首長はいる。

だが、もっとだめな連中がいる。

多くの人は制度を改革したいわけじゃない気がする。単に今、役所にいる公務員の連中を叩きたいだけじゃないのか。自分のつまらない生活のはけ口として。連中は文句を何も言わないし、マスコミも叩いていいって言ってるし。でも本当は叩いても何にも変わらない。下手をすれば事態は悪化するだけなんだけれど、そんなことはどうでもいいのだろう。なぜなら自分のはけ口なのだから。
だから、公務員は優秀であっては困るし、馬鹿でなくては困るのだろう。ある日、実際に自分が役所の窓口でトラブルになって、ヒステリーを起こすまでは。

国の地方財政「改革」の中で、市町村のサービスはどんどん悪化していく。「公務員は馬鹿だ」と言う一方で、「行政がやればいい」と言う、スパイみたいな連中がいっぱいいる。こいつらのせいで地域で担っていた役割が、役所の仕事になっていく。暇だった田舎の役所でも、このあたりのどの会社よりも遅くまで電気がついているようになったところもある。誰が電気代払っているんだ?誰が人件費払っているんだ?「行政がやればいい」と言った連中よ、おまえたちが払えよ。
正規職員はどんどん減って、臨時公務員が増えている。この人たちは民間の臨時より将来に保証がない人たちだ。「来年度から予算カットだから、更新なしね」の一言でクビになる。いくら能力があっても関係はない。そしてこの人たちは紛れもなく、この街の仲間なのだ。

今すべきことは、公務員を叩くことではない。斜に構えて、かっこつけて反権力を気取ることではない。叩いている暇なんかない。確かに未だに終身雇用の正規公務員に危機感はあまりないだろう。だがもっと無いのは、叩いて喜んでいる連中の方ではないか。

民と公の役割分担を考え直し、役所にやらせていたことの一部を地域でできるようにすることが必要だ。地域社会から去っていった担い手たちを呼び戻し、育成することだ。そうして行政の手を借りなくても、自ら治められる街をつくることだ。場合によってはとてもやりがいのあることもあると思う。けれども、場合によってはものすごく地味で、結構しんどい作業もあると思う。

公務員たたきをしている人たちは、そういう地道な地域の活動はきっとお嫌いなのでしょうな。経験上、そういう連中に限って、役所との折衝のときにあっさり折れてきたりする。一番大事なときに、役所の側についたりする。結局自分が一番かわいい連中だ。

公務員を叩いても街は良くならない。何も変わらない。公務員叩きでこの街が良くなると本気で思っているとしたら、それは「木によりて魚を求む」とはこのことだ。

本当に公務員に任せられないと思うなら、自らまず動くべきではないか。
言い訳は聞きたくない。