放送大学「コミュニティ論」

放送大学テキスト「コミュニティ論」

社会学の入門書といってよい位置づけのもの。著者の倉沢進先生はこの手の世界ではかなり有名な方だ。

まちづくりに関わっていると「コミュニティ」という言葉を聞く機会が多い。諏訪のような地域社会の「コミュニティ」がどのような問題に直面していて、どのように変わろうとしているのか、あるいは「コミュニティ」とはそもそも何なのかということを読んでおくことは無駄ではないと思う。

「なつかしさ」とはなにか
しばらく東京などに出ていて戻ってくると、あずさの中から諏訪湖見えてきたときに「ああ、帰ってきたな」という感じがする。こうした「なつかしい」と思える町、土地、人のつながりを「コミュニティ」と言ってよいとおもう。自分のふるさとだけでなく、暮らしたことの無い街を見てもどこか「なつかしい」と思えることがある。古い話だが「となりのトトロ」に出てくる村は、私たちの多くが既に暮らしたことの無い環境だが、それでも「懐かしい」と思えるのは、そうした理由だと思う。

何故こうしたことがおきるのか。筆者は「自分自身との経験に結びついているから」と表現している。社会学では、「共同生活を通じた共同経験」がこうした「共通の気持ち」を生んでいくといわれている。
毎日の仕事や暮らしに追われつつも諏訪の衰退を寂しく思ったり、全国紙に自分のまちの人が載ったりすると「おお、すごい」と自分のことのように喜んだりする気持ちは、この「コミュニティ」という人や気持ちのつながりを背景に持つ。様々な学者の「コミュニティ」についての定義を著者は「共同性」と「地域性」という二つの言葉にまとめている。つまり、共同性のうち、地域というひとつの枠のようなものの周辺に成立しているものを「コミュニティ」というということだろうか。