中国旅行記1

2014年12月28日から翌1月4日まで中国西南部を旅してきたのでその記録を残す。
<今回の目的、旅程>
 今回は雲南省を訪問する。留学中に少数民族の生活に興味を持ち、行くことを計画したが断念したことがある。20年前の雲南省の方が良かったのだろうが、20年後の中国語ができるようになった今の方が良いこともあるだろう。
 ここ数年中国語の学校に通ってだいぶ上達したと思う。言葉の壁が低くなれば人間関係にどんな変化が生じるのか見たいと思った。

12月28日に中部国際空港から上海浦東空港へ。すぐに国内線へ乗り換えて成都へ。本来なら雲南へ直行したかったが、計画した時にはすでに良い飛行機がなかった。「成都経由にしては」という中国の友人の勧めで、この旅程を組んだ。
国内線への乗り換えが初めてなので様子がわからない。留学中は「飛行機に乗らない」という妙な自分への取り決めをしていたので、乗ったことがないのである(他にはプリクラを撮らない、など妙なものがあるがそれはまた別の話)。2時間で乗り継ぎが足りるのかわからなかったので、荷物を待つ時間を短縮するために、すべて手荷物にして機内持ち込みできるだけの最小限にしぼる。

29日に成都観光後、シャングリラへ。3泊の後、麗江へ。4日に帰国する上海便に乗らなければならない。良い上海便が取れなかったので、これも前述の中国の友人の提案で、近くの杭州へ戻る。杭州からは同行の友人の提案で上海の空港行きのバスに乗ることになった。

同行者は友人夫妻。私とで3人の旅行だ。

<上海へ>

名古屋空港までは同行する友人夫妻の車に同乗させていただく。
朝4時発、外はまだ暗く寒い。自分の車を友人の家に停めさせていただく。帰国後にバッテリーが上がっていないか心配。前回もそうだったが、早朝と遅い帰りの車の運転をさせてしまい恐縮する。

空港着。私の飛行機の方が後なので、同行者と別れ自分のチェックインカウンターへ。まだ始まっていないと思ってのんびりしていたら、行列ができていた。最後尾がわからずウロウロしてしまう。
1時間ちかく待ってチェックイン。ネットでもできるらしいが、やっぱりこの式の方がいい。Eチケットは携帯を見せたらOKだったが(知らなかった)、帰りに電池が切れていないことをいのる。

出国手続きのところで、外国人の方が1人出国カードの書き方がわからず困っていた。さっそく手伝うことにする。てっきり中国人だと思い、張り切って中国語で教えてあげたらベトナム人だった。早とちりしてごめんなさい。
英語もあまりできないようで、国に着くまで心配だ。

前述したが、今回の旅では中国人の友人夫妻に宿の手配や路線へのアドバイス、中国国内線のエアチケット購入までお願いしてしまった。だから私は行くだけで良いのだが、役所関係の手続きが苦手な私には、国際線搭乗手続きでいつもおろおろしてしまう。

友人夫妻との連絡用にと、中国版LINEみたいなアプリをインストールした。ところが思いがけず、乗機直前に長く会っていない中国の友人が追加してくれた。
電話番号から登録してくれたのだろうが、確信が持てなくて別の共通の友人にメール。間違いないらしいので連絡したら話が弾む。
彼女と最後にあったのは5,6年前。彼女は20代だったはずだが、写真では全然変わっていないので人違いだと思ってしまった。残念ながら飛行機の出発時刻になったので後刻の連絡を約し、携帯を機内モードに変えた。

機材はbowing737-800。私は小型機が好きだ。乗り心地が楽しみだったが、機体はおもったより揺れなかった。食事は鶏肉か牛肉。鶏肉を選んだ。パスポートを手に持っていたからか、英語で聞かれたので中国語で答えた。うまく通じずに嫌な予感がよぎる。上海に着いたら宿の予約確認電話をしなければならない。
名古屋上空では南アルプスが見えたが、あとは雲海の上だった。暇なので「ローマ人の物語」ユリウスカエサルルビコン以後を読む。若い頃、ひとりでの旅行中は歴史物の文庫本を持ち歩き読むことにしていたので、その習慣を思い出して持ってきた。
ちなみにこの小説は読み始めて5年以上が経つが、途中まで読んでは読み返しているのでいっこうに進まない。読み終わるのは多分無理だろう。学生の頃ならできたかもしれない。

小型機は各座席にモニターがないので、どの辺りを飛んでいるかわからない。予定通り上海に着いてくれないと乗り継ぎが間に合わない。雲の切れ間から見える地形を見ると、少し遅れ気味のように思える。大丈夫だろうか。

上海に到着。飛行機はやはり遅れた。
荷物を減らして預けない方針にして正解だった。荷物を待つ人を尻目に脱兎のごとく待合わせ場所へ。無事友人夫妻と合流できた。まだ人が降りてくる前だったせいか、両替もスムーズにできた。四万替えて1900元になったのはがっかりだったが、今回は忘れずに「小銭をくれ」と言ったところ、気持ちよく変えてくれた。20年前、頼んだらとてもめんどくさそうに理由を聞かれたのとは別の国のようだ。あの頃は1万円で800元以上が手に入った。こちらも別の国のようだが。

首尾良く10元と1元札を手に入れることに成功。乗り継ぎ手続きへ向かう。
上海は暑かった。気温20度。今回は高山トレッキングを予定しているので、冬用重装備をしてきたが、低地でのことを考えていなかった。たまらず服を脱いだ。早速荷物が増えてめんどくさい。

今日中に上海から成都へ飛び、今夜は成都宿泊だ。中国国内でも使えるiPhoneを前述の中国の友人(夫)から借りてあったので、宿泊予定先に早速電話をしてみる。ところが予約がないという。失敗したのは、日本人の名前をどう伝えればよいかわからない。何度も確認を促すが、「ない」「私はよくわからない」とのこと。電話を貸してくれた友人にメールをし、到着早々救援を依頼することになってしまった。

とにもかくにも飛行機に乗る。乗機して自分の席に行くと、若い男性が座っている。おかしいな、という顏をしていると慌ててどいてくれた。中国は相変わらずだが、抗議しなくてちゃんとどいてくれる時代になった。

成都着>
成都へは18:10につく予定だったが、これも遅れた。中国国内線はよく遅れると言うが、今回は正月前で混んでいることもあるのだろう。
成都からはリムジンバスを使う。当初タクシーの予定だったが、到着場所からホテルまでが歩けそうなので使用することとした。

成都は都会だったが、上海のような未来都市感はない。東京よりも古い建造物が良く残り、中国らしさを残している良い街だと思う。大気汚染は上海ほどではない。地下鉄を作っている最中で、街中に土煙が上がっているのには閉口したが。
バス停から宿までを歩く。次の移動先香格里拉へも飛行機を使うので、道順を覚えながらの2kmほどの散歩である。
宿について確認すると、やはり名前がないという。おかしいと思って予約メールを見せると、同じチェーンホテル(漢庭)ではあるが場所が違うという。

フロントの女性の説明のとおりに行ってみたが、その場所にはなかった。彼女が説明中にどんどん横から別の中国人宿泊客が横入りして様々な質問を浴びせてくるので、説明をまともに出来なかったのだろう。あちこちで聞き回ってようやく宿にたどり着いた。

ここまでで気づいたが、中国語のレベルが昨年に比べてだいぶアップしている。今回は旅の中で出会う人といろんなことを話せる予感がした。

その日は「錦里」を見る。古い町並みが残っている、というふれこみだったが、そこに商業店舗を大量に入れて観光地化した中国版木曽のようなところだ。
こうした商業化、観光地化には批判があるが、建物は使用しなければ痛んでしまうし、維持費を捻出できない。保存が原則ではあるが維持運用を視野に入れなければ建物はもたない。
市街地の再生の活動に関わっていたときに、保存を主張する郷土史家のグループと、建物の運用を主張する若手商業者の議論を聞いていて思ったことだが、やはり建物は展示物ではなく使用する道具なのだと私は思う。全国で保存に失敗する例(行政が補助金100%をつっこんで維持しているのは失敗例と考えるべきだ)が相次いでいるのは、運用を考えていないからだ。

ホテル探しに手間取り、夕飯が遅くなった。食堂を探してしばし宿の近くをうろうろする。今回の同行者のM夫妻とは昨年末も中国旅行をご一緒したが、奥様の見立てはいつも当たりだ。今回は麺を主に扱う店。ワンタン、麺、水餃子。私はお酒は遠慮した。

つい数時間前までは日本にいた。あっという間に日本語が通じない世界。当たり前のことが当たり前に通じない世界。
それでも、中国は発展した。20年前に比べれば状況は懸絶していると言って良い。ホテルはきれいだった。

横になると、あっというまに眠ってしまった。
眠り際、まだ自分が外国にいるという実感が湧かないことに気づく。
あらゆることがうまくいかない日常を離れている。