成都から香格里拉へ

起床しホテルで朝食。その後目的地の「三星堆博物館」に向かう。旅行前のネット情報と地球の歩き方によると、成都市の隣の広漢市にあるという。タクシーで行く予定をしていた。
ホテルの前のタクシーを捕まえる。念のため値段を聞くと「少なくも300元はすると思うけど、いいのか?」と親切に言ってくれた。もうひとりのタクシーの運転手は「200元はかかると思う」とのこと。エライ差だが、高速代が入っているようだ。高額になることは間違いなさそうだ。
同行者の2人と相談し、バスで行くこととする。ホテルの従業員に行き方を聞いたところ、バスターミナルまで行けば広漢市行きのバスがある、とのこと。四苦八苦しながら教えてもらったバスターミナルまで行ったところ、広漢市行きのバスはここのバスターミナルではないとのこと。でかい市なので、バスターミナルがいくつもあるらしい。

 ホテルの従業員を悪く言うわけでは決してないが、中国の大都市のバス路線は大変複雑だ。例えば東京都内で鉄道を使わずにバスを乗り継いで動くと思えば想像しやすいだろう。
普通の人は自分が普段乗る路線以外はわからない。まだ地下鉄が1路線しかない成都では、全てがバスに頼っているのだ。(街中で地下鉄の建設をしていたので、数年後には一変しているだろう)
ちょうどそのバスターミナルにあったインフォメーションセンターで聞いてみると明確な答えが返ってきた。対応してくれた職員は外国人になれているのだろう。私の中国語のイントネーションと服装から一目で日本人とわかったようだ。そして「日本人には漢字を書けば理解できる」という知識を持っていた。説明も端的で分かりやすく、日本の田舎の観光業者よりよほど優秀だった。
市の北北西にある昭覚寺のバスターミナルから広漢市への高速バスが出ていた。路線バスを乗り継いで昭覚寺ターミナルまでたどり着く直前に、私営バスが路肩に止まって客引きをしているのが見えた。この分ならターミナルにもあるだろう、と一安心。ターミナルにはバス路線がたくさんあったが、無事切符を買うことが出来て出発できた。

高速経由で40分とのことだったが、実際は1時間近くかかった。なるほど、これだけ高速に乗ればタクシーは高かっただろう。良心的なタクシードライバーに感謝。昔中国の地方都市と言えば「ぼったくりタクシーに気をつけろ」だったのだが、時代は変わりつつあるのだと感じた。
広漢に到着後、博物館行きのバスを探す。「三星堆」と書かれたプレートを掲出したバスがすぐに見つかった。車掌さんに同行者のご主人が聞いて下さったところ「行くよ」とのこと。この手のバスには時刻表がないので、ある程度客が乗らないと出発しないのだが、今回は乗ったところすぐに出発した。
バスは市街を抜けひたすら郊外を目指した。とうとうお客さんが3人になってしまった。車掌さんは私達の行き先を知っているので、何も言わないと言うことはこのまま乗っていても良いのだろう、と勝手に想像して外を眺める。

現代中国の農村風景が広がっている。

農村と都市の格差、というが、この辺りの農村はそれなりに豊かに見える。30年前に司馬遼太郎が書いたエッセイ集にも同じ内容のことがあった。この辺りまで来ると農家の方が乗車してくる。手を挙げてバスを止め、二言三言料金や降りる場所を聞くと出発、という具合である。
あるところまで来ると急にバスが止まった。「ここで降りて」とのこと。指さす方向を見ると博物館っぽい建物が見える。前で止まってくれたらしい。礼を言って博物館に向かった。
この時点で既に1時過ぎ。空腹を覚えないでもなかったが、周囲に飲食店があるとも思えない。夜の香格里拉行きフライトまでは時間もあるので、多分大丈夫だろう・・・と考えて博物館に向かう。

こんな寒い平日の昼間に客などいるはずは無かろう、とおもっていたらそうでもなかった。研究者とおぼしき方々が数人、熱心解説に見入っていた。中国の博物館はたいてい写真撮影禁止ではない。職員に聞いたが「何でそんなことを聞くのかわからない」みたいな顔をされた。というわけで写真は勝手にとらせていただいた(禁止しているところもあるので注意)。

三星堆遺跡とは、80年代に中国で発見された遺跡で、紀元前2000年頃に四川省のこの盆地で栄えた文明の存在を示唆する出土物と祭祀跡で構成される。鉄器の前、青銅器の時代だ。
世界ではヒッタイトの時代、バビロン第1王朝の時代、中国の夏王朝の時代。日本では縄文時代後期だ。
巨大な青銅器の仮面には、金箔が貼られていたという。大型の樹形の青銅オブジェ。いったい何の祭祀に使ったのだろう。そもそも、この仮面の顔立ちは、一体どこの人々を表しているのか。目が飛び出して耳が大きい・・・。
話は違うが発見が最近のため台湾に持ち去られていない上に、中国政府がある程度財政力を持った時代の発見なので、物の保存状態がよい。
帰りのバスにどこから乗るのか見当も付かなかったが、駐車場の警備員さんに聞くと「その辺」と指さされた。出口らしきあたりに出てみると、ちょうどバスが来たので乗車する。
やれやれ。結局一日かかってしまった。武候祀もパンダも寺も火鍋も、またいつか成都に来るだろう、とのことで今回はパス。

今夜我々は香格里拉へ飛ぶ。昨日の下見通りに成都へのリムジンバス乗り場に行くと、バスはすでに来ていた。成都から香格里拉はそれほど離れていないが、山を飛び越すのでバスだととても時間がかかる。例によって小型機。エアバス社の飛行機は初めてだ。少し揺れたが楽しいフライトだった。「温かいコーヒー」を頼むと、ミルクと砂糖がどっさり入った、というかミルクと砂糖の味しかしないコーヒー牛乳が出てきたのにはびっくりしたが。
 飛行機が着陸態勢に入ったとのアナウンスがあった。ふと窓の外を見ると、五角形のような何かの紋章のような放射状の光が見える。市街地の光だ。暗闇の部分が多いことは、大都市との違いを示している。
 空港に着く。小さな空港だ。宿を予約してくれた中国の友人の話では、宿から迎えの車のサービスがあるとのことだったのですかさず宿に電話する。今回はすんなりと通じた。待っている間に白タクの運転手さん達が必死で営業をかけてくる。多分コレが今日最後の飛行機なのだろう。今日の売上げが悪かった人は、かなり熱心な営業攻勢をかけてくる。以前は中国語がわからないフリをして避けていたが、「宿の迎えの車が来るんです。だから結構です、どうも」と言うと「ああ」と言って去っていった。いつも気まずかったのできちんと断れるようになって良かったと思う。
運転手はチベット族の方だった。男性は何故か皆カウボーイハットをかぶっている。車に乗ろうとすると、若い女の子の二人組も乗るという。聞けば、彼女たちも同宿らしい。
社内で運転手さんの営業が始まった。彼は宿の送り迎えをしつつ、お客さんに車のチャーターの営業をしているらしい。女の子二人は乗り気だ。同行者はいっそ二人と一緒に行ったら面白いかもしれない、という。それもそうだが、彼女たちが行く先を聞くと私達の家の近くにある湿原と大差ない場所だ。迷ったが、私達は予定通り初日は松賛林寺と市街地に行くことにするので、パスすることとなった。運転手に少し申し訳ない。

 宿に到着。無事チェックインできた。同上した女の子たちと少し話をする。私達が日本人であること、明日以降の予定は決まっているようないないようなであることを先に話すと、いろいろ話してくれた。二人とも20歳で成都出身。香格里拉麗江へ行くという。行き先が同じで明後日の予定が決まっていないようなので、明後日以降の予定が合えばチャーターを協働でしてみようかと提案したところ興味を示していた。

いずれにせよこの日はもう遅かったので、さっさと夕飯を食べて寝ることにする。食事は火鍋。鍋なんだから人数が多い方が良い。彼女たちを誘っても良かったかな、とふと思ったが(何かうまい物にありつけるかもしれないし)、うまかったので言うことなし。
 部屋はとてもキレイだった。室内気温が10度を下回っていたので、眠れるか心配だったが電気毛布がある上に、オイルヒーターを入れてくれた。洗濯をし、明日に備える。荷物を減らすために衣類を最小限しか持ってきていない。だから洗濯を頻繁にしなければならない。留学中、ずっと手洗いだったことを思い出した。
 香格里拉の標高はかなり高い。3300mくらいだ。寝ている間に高山病にならないかだったが、すぐに眠りに落ちた。