中国語に翻訳すべし(課題)

今月から中国語の講座に通うことにした。
教科書の指定は特になかったので、先生と相談して作文をつくり、それを添削していただくことになった。
作文は結構だが、なかなかネタがない。何でもいいわけではない。一応その場の雰囲気に合っていなければならない。TPOってやつだ。

そんなわけで、次回のネタを作ってみた。以下を訳すこと→俺。

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1994年、バブルがはじけて日本経済の低迷が始まったその年の2月、私は上海港の埠頭に降り立った。

ジュリアナが閉店し、社民党村山富市が首相に就任した。ある宗教団体が松本市サリンをまいた時には、長野県警は罪もない近所の男性を逮捕した。

どこまでも上昇する日本経済。正確無比と思われていた日本のシステム。
多くの人が無邪気に信じていた、強い日本。

我々日本人の信じたすべてが虚像だったことが露呈し始める、最初の年だった。

もちろん、当時の我々にはそんなことはわからなかった。
ただ、漠然とした正体不明の不安を抱えていたような気がする。

あるいは、それは私が個人的に自分の将来についての自信を失っていたから、そう思えただけなのだろうか。

私はその年、大学を休学して中国の大学へ、1年間語学留学をした。

上海に滞在した1年間の間に、上海はとてつもなく大きく変わった。

上海の地下鉄の新しい線が次々と開通し、テレビ塔の東方明珠が浦東地区に建てられたけれども、老上海の旧市街地は革命前の姿をそのまま留めていた。
新しい2階建てバスが走り始めたが、市内には「電車」と言うトロリーバスが走っていた。いま中国で「電車」といえば、日本と同じ「電車」のことを言う。トロリーバスの替わりに日本の市電のような、真新しい軌道電車が走っている。

短期間に大きくなった中国。
私のいた1年は、まるで少年の思春期のように、混乱と勝ち気と、成長への痛みが町中にあふれていた。