「海の都の物語5」つづき。

海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 5 (新潮文庫)

海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 5 (新潮文庫)

ヴェネツィアの体制を日本の「政治主導」と否が応でも対比せざるを得ない。

英邁な君主たちに率いられた絶対主義国家に囲まれて、諸事意思決定が遅れがちなイタリアの共和制都市国家群の運命を見ると、共和制の長短が見えて来る。ヴェネツィアを除いてほとんどが体制を変えるか屈服するかして生き残れなかった。

ヴェネツィアは内紛を回避するシステムになっていた。1%の「貴族」の中から選ばれた元老院議員たちは、様々な事業を任される中でキャリアルートをつくってくる。その中で選ばれた人物が十人委員会などの重要な意思決定機関に加入する。

日本との大きな違いはここにある。
日本の「普通の議員」の多くは、民間人であることが多い。政治や行政経験が皆無である。そういう人たちが現実的な判断が出来るのだろうか?

二世議員、三世議員、元官僚、元自治体の長がしばしば選ばれているのはそのせいなのではないか。つまり、普通の議員が行政経験がなく、法律の解釈も作り方も制度の設計から運用の実際まで一切わからないので、これを補う為に選ばれているのではないか。

もう少し改善の方法はないのか?

元官僚がなるのでは官僚独裁と変わりばえがしないし、自治体の長がなるのでは高齢になりすぎる。残るパパが政治家だった二世議員がはびこるようでは、議会制を取っている意味がないではないか。

ヴェネツィア世襲制を取っていた。そのことが政策の一貫性を生み、安定が投資を呼び込んだということのようだが、日本の場合は一貫性を生んでいない。一貫性を生んでいない世襲制は、ただの階級固定でしかない。

閉塞感を打破する為にはどうしたらいいのか。「日本いくら金融緩和しても投資機会がないため金がブタ積みになるだけだ」という意見がある。その通りだ。そして、投資機会がある国になるためには、まずはこの江戸時代的閉塞感を打破する必要がある。