先週の村上龍メールマガジンJMM土曜版は、冷泉氏が二大政党制失敗の原因についての2点指摘。「失敗」とはもちろん日本の二大政党制についてだ。

1つ目。日本では毎回の選挙がイデオロギーの選択ではなく、失敗政党への懲罰と、反対政党への無限の期待になっていること。例えばこの前自民党が敗北し、「ねじれ国会」の発端となった選挙では、後期高齢者制度で高齢者を混乱させた自民党は懲罰を受けた。

もう1つは、対立軸がまとまらなかったこと。当初は自民党式バラマキ利権誘導型に反発していたはずの民主党は、最期は自民党とは別の層に散撒く人たちになってしまった。そもそも民主党の元々の体質に問題があったのだろうが、氏は大きな政府の反対が小さな政府にならなかったことを指摘している。

また、新政権には何でも期待し、信じなくなると丸ごと否定する有権者の「お上と庶民」意識への批判が述べられている。氏は「江戸時代以来」という表現を用いて歴史的背景について触れているが、これについては少し根深い物があると思う。

日本企業文化においては「ウチ」と「ソト」について、独特の考え方が取られる。「ウチ」の都合を「ソト」に押しつけてはならない、というものはその一つだと思うが、「自社以外の企業が「ウチ」を「ソトに」押しつけている姿勢すら許容できない」という不寛容な態度が社会の末端に至るまで浸透しているのは日本の特徴だと思う。

政治や行政への批判にもこうした特徴が現れているのではないか、と私は思う。有権者が自ら選んだ政党が作った政策が失敗したときに、政治家は誤った選択をした有権者を批判できない。反省を促すことも出来ない。有権者は誰からも批判されず、同じ事を繰り返す。

有権者は自分たちの失敗を政治家あるいは官僚の「ウチ」の問題であると勝手に付け替えるだけでなく、政治家たち自身も「ウチソト」問題で自らの発言を縛る。誰にも批判を受けない有権者は、モンスタークレーマーよろしく、毎回選挙でローマ時代の見せ物決闘を現出させる。

例えば自民党から民主党へ政権を変えた時のことだ。控除から直接給付へ、高齢者から若年者への富の移転を公約とした民主党を、私たち有権者は支持した。いざ実施の段になると制度の趣旨が理解できず、あるいは理解しようともせず大騒ぎした。変更がストレスと感じられたからに他ならないが、ストレス原因の一つに「「ウチ」の都合を「ソト(有権者)」に押しつけた」と写ったことが挙げられるのではないか。

あるいは、そう思いたかったのかもしれない。ウチソト問題に収斂させ、不安な招来から逃げたかったのだろう。私自身の心の底を覗いてみれば、そうした心理的な動きの痕跡を見て取ることが出来る。その後行われた国政選挙はもはや人気投票の域を出ず、安全対策が不十分な原発を作り続けた自民党を大勝させるという珍妙な結果となった。

今回の参院選自民党なら救援がもっと早かったのではないかという声が聞かれた。
もっと早かったはずの「復興」。それを希求し悔やむ心理。
そうした社会心理がなかったか私はとても気になる。確かに省みれば、私自身、心の奥底で自民党にそんな風に心の底で期待していた。我々有権者にとってみれば、合理性などはどうでもいいのである。しかし、都合良く「ストレスを感じさせた」とウチソト問題に矮小化して、そんなことで政権を否定して良かったのだろうか。

今回のメルマガで指摘されたもう一つのポイントは、政策の対立軸ができない、という点についてもだが、問題は結局同根なのではないか。民主主義的な政治を騙るべき言葉を私たち有権者が持たないことが、問題の一つの側面であると思う。