よく見に行くChikirinさんのブログ。最近は時事、社会問題のエントリが多かったが、今回はコミュニケーションと言うか、形而上学的と言うかのエントリ。とても興味深く読んだ。こんなことも書く方だったんだな。
人間ってみんな自分の中に「何か」を持っているでしょ。それはなんらかの表現方法を通して具現化しないと他人には伝わらない。伝わらないと理解してもらえない。それどころか、表現方法というフィルターを通さないと、自分自身でさえそれが何なのか意識的に理解できなかったりするんだよね。
自分の意図がまともに伝わったためしがないと思うことがある。実際、伝わっていないのだろうし、分かりにくいことばかり考えているから仕方ないのだ。冷静に考えればもう少し無理なく生きられればいいのに、と思わないでもないが、そうしたいと思わないのだから仕方ない。
ならば、世の中とうまく折れ合って行かなければ行けないのだが、なかなかうまくいかない。
Chikirinさんは言う。
だから、その「自分の中の何か」を巧く(ああ、これなんだよ!という感じで)表現しうる方法とかツールを手に入れられたら、とても幸せだと思う。
なるほど、表現ツールか。
そういえば、そう言うものを私は持ち合わせていないな。
それと、その過程において「表現方法を探す」ということを明示的に目的として認識できたら生産的かもと思った。
それはとても意義のあることだと思う。
明示的に、意識的に探してみることにしよう。