是枝監督「怪物」を観てきた話

参加している岡谷市の読書会でイベント形式での書評会があり、今回はこの映画とノベライズ本がテーマとなった。あまりたくさん映画を見る方ではないが観ざるを得ない機会を作ってもらえるのが「読書会」のとても良いところである。

 

事前に評判を一切見なかった。そのため「怪物だーれだ」というコピーを見て「ホラー映画か?」と勘違いし、心の準備をしていたことを先に告白しておく。是枝監督の映画なのだからそんなはずはないのだが、なんと間抜けな話だ。

 

!!注意!!

以下、ネタバレ含むため、見る予定のある方は読まない方が良いと思う。

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映画の冒頭、主人公は母親を演じる安藤サクラさんだろうと思った。この辺りからすでに罠にハマっていたのだと思う。

夫と死別したシングルマザー。不審な行動をとる子どもを心配しているシーンが続く。この時点で私は「実はこの子どもは怪物なのだろう」と思ってしまった。

 

ところが、私のその思い込みは次々と覆されていくことになる。

 

子どもが怪我をして帰ってくると、母親は「学校で教師に虐待されているのではないか」疑う。母親を主人公だと思っていたせいか、私は「ひどい教師だ」と思い始めた。学校側の方通りの謝罪とそれを主導する田中裕子演じる校長。この辺りでは「いや、学校にもいろいろ都合はあるし、そんな演出はないんじゃないか」などと完全に勘違いをし始めていた。

 

この思い込みは次々と覆っていく。主人公(実は母親の子どもの「麦野くん(黒川想矢)」が主人公であることにこの辺りでやっと気づく。母親視点から担任の先生(永山瑛太)視点に切り替わり、やっと主人公視点になる。この時点で同じ時間軸の出来事が全く違って見えている演出が繰り返されていたことに気付いたからだ。

 

私は理解しやすいストーリーに載せて、物事を解釈しようとしていた私自身の心の動きに愕然とした。ストーリー自体は面白かったのだろうが、途中からそれどころではなくなっていた。途中、性的マイノリティを絶妙に演じていた子役たちの演技を楽しむ心の余裕もなかった。

 

ラストシーンの近い田中優子扮する校長が主人公にトランペットを教えている時になり、私はやっと私自身が半信半疑、疑心暗鬼に陥っていることを自覚した。

 

ラストシーンは子どもたちが光の中に走っていくシーンだった。私は映画を見た直後は子どもたちが亡くなってしまったのだろうと私は考えた。書評会でも同じような意見が出たが監督にはそこまでの意図はなかったとのこと。

 

映画を見てからしばらくして、秘密基地は何のメタファーだったのだろう、と考えるようになった。仮に周囲の思い込みから自分たちを守る殻やシェルターのようなものだと考えると、そこから出ていくことは成長を意味するものなのだろうか。いや、それですら何かの思い込みかもしれない。

 

私自身は「怪物だーれだ」の答えを、わかりやすいストーリーに載せて偏見に囚われ続けた私自身なのではないのか、と感じた。明らかに私は冒頭で「シングルマザー」だからと主人公の母に過度に共感し、その結果として学校の体制に反発しかけ、子どもの不安に動揺していた。

 

人は見えないものを想像する力を持つ。以前、心理学の講義だったと思うが、この能力は動物が持たない人間特有の高度に発達した脳の機能であると学んだ。

見えないものを想像で補完することは本来は重要な機能である。一定のパターンを見抜く力は、それまでに見聞きしたパターンや構造を理解した上で行うからだ。

しかし、この能力には欠陥があり、錯覚や偏見を引き起こすということだ。

 

私は偏見については日頃から気を付けているつもりだったが、映画を観る過程で実はそうでもないことがわかった。もう一度、まっさらな気持ちで自分の持つ偏見に向き合ってみたいと思う。

 

なお、余談だがこの映画は諏訪地方で撮影している。先日、岡谷市で行われた書評会でお話を伺う機会があった。

毎度のことながら当地のフィルムコミッションの貢献により、素晴らしい撮影になったと思う。セットなどには今井建設さんが撮影セット作りに携わっている。秘密基地はセットの電車を作った上で、美術の力で朽ちつつあるようにしたとのことだ。