君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

高校2年生の時、世界史のT先生は毎回本を薦めてくれた。
当時、思春期の危機真っ最中だった私は、読書どころではなかったのでほとんどをスルーしてしまった。

だが、それでも何冊かは読んだ。
この本はそのうちの1冊である。

先日、久しぶりに読み返そうと思ったところ、見当たらないのでアマゾンで注文した。注文した途端に本棚の奥から出て来た。これを「アマゾンの法則」と呼ぶ。

・・・話が逸れたので元に戻す。

「おじさん」が主人公に語った言葉や、それにまつわるエピソードは、どれもとても大切な事だと今でも思う。思春期の暗黒面に落ちていた私が、それを率直に受け入れられた事が今思えば驚きだ。

今も鮮明に覚えているエピソードが一つある。

主人公が貧しい同級生の「浦川君」の家に遊びに行き、学校を休んでいた彼のために勉強を教えたことについて、「おじさん」が語った事だ。「おじさん」は、浦川君が貧しいからといって主人公が偉ぶらなかったりした事を喜ぶ。そして、貧しい人たちが社会には沢山いること、貧困がもたらす悲惨さ、不公正さについてを語り、心配なく学ぶことができる主人公にそのありがたさを説く。

ここまでは普通の説教オヤジだ。コレだけだったら、私はここで読むのをやめただろう。

このエピソードの最も印象的だったのはここからだ。「おじさん」は勉強をしなければならない目的を実に簡単にこう語る。

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いや、この先はもう言わないでも、君にはよくわかっているね。君のような恵まれた立場にいる人が、どんなことをしなければならないか、どういう心がけで生きてゆくのが本当か、それは僕から言われないだって、ちゃんとわかるはずだ。<

勉強は他人のためにする。不運にもチャンスに恵まれない人々にチャンスを作るためにするものだ、と私は読んだ。
有り体に言えば、中学までは私は成績を争い、人より上に立つために勉強して来た。私の勉強の目的は人を出し抜く事であり、それは私の暗い自尊心をとても満足させた。しかしそうして得た知識たちは、私の行く先を照らすどころか、却って私の精神を蝕み、行き先への径を森の霧の中に沈めてしまっていた。

私が自分がほんとうに間違っていた事を悟った、始めての経験だった。