つながる沖縄近現代史(沖縄の人口問題の章)

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今回は第13章「ウチナーンチュの世界帝国」と題された章。要するに沖縄では「人口問題」が経済政策と関係があるという内容になっている。

日本の地方の「人口問題」といえば「人口減少」だが、沖縄県はそうではない。長年人口の多さが問題になってきた。贅沢な悩みだと思うのは早計で、その裏には「人口を支える産業がない」という深刻な問題が存在している。同章を読んで基地経済への依存の不安の在処を垣間見たような気がした。以下簡単にまとめてみる。

 

1 増加し続ける沖縄県人口

 沖縄が大幅な人口減を経験したのは沖縄戦の時だけである。その背景としては以下の原因が挙げられる。

合計特殊出生率が高い

②県内移動が多い(諸島から本島へ集まる)

③人口流入が人口流出を上回っている(出稼ぎに行っても帰ってくる人が多い)

 

2 戦前から戦後にかけて

 沖縄の経済政策の課題は「過剰人口の解消」または「人口維持できる経済基盤の確立」ということに尽きると考えられる。

 戦前期は「人口圧力解消」のために多数海外(南米など)、県外へ移民が行われた。戦後もこの政策は進められ、特に終戦直後のライフラインが完全に破壊された時代には、米軍施政下であっても主だった団体が動員されて移民政策、出稼ぎ政策が積極的に推進された。

 

現在では海外に沖縄県ルーツの移民やその子孫が43万人いるとされている。

戦前   60万人

沖縄戦後 33万人 減少要因は本土疎開、戦病死

1950s 70万人 増加要因は復員、旧植民地引き上げ、USCAR施政下のベビーブーム

戦後はUSCAR施政下に置かれるが、人口は増え続ける。

USCARとは(1950-1972)United States Civil Administration of the Ryukyu Islands

 琉球列島米国民政府琉球政府の上部組織として沖縄に置かれ、米国のコントロール下に沖縄全域を置いた。別に裁判所も置かれた。「ユースカー」と発音する。

 

3 移民政策の時代

戦後もインフラ復興が追いつかない状況が続く。米軍基地が恒久化される方針の決定により、基地と関連施設の建設ブームの時代となる。沖縄の内部に莫大な労働力の需要が生まれたが、この状況を「一時凌ぎであり従事者の多くは潜在失業人口である」と懸念されたため、移民政策は依然として採用され続けた。

①海外移民

(例:1953海外移民促進大会/27団体)

海外「雄飛」の時代(移民は戦前の1/4)

②県外移民、出稼ぎ

 本土がまだ「海外」だった時代にUSCAR主導で渡航を認める。

(ただし、8割が帰ってきた。人口排出効果は限定的だった)

※出稼ぎのことを沖縄では「キセツ」と呼ぶ。

 

4 高度経済成長期

1955 早くも80万人をこえる。

「人工栄養の時代」と呼ばれた時代。共産主義のつけいる隙をつくらないためという思惑により、日米による投資が行われた。続いてベトナム特需の時代がやってきたが、常に「一過性のものではないか」という不安が付きまとった。政府への特別援助の要請や移民政策の推進はそれらの不安を背景としている。背景に戦前の黒糖モノカルチャー崩壊による「ソテツ地獄」の経験があると考えることができる。

県内経済の高度成長の開始により「過剰人口の解消」という制作命題は一旦忘れられ、「基地依存経済の脱却」という言葉に置き換えられた。

 

5 沖縄復帰の時代 1970年代

 沖縄「沖縄3法(開発3法)」の施行「格差是正」と「自律的発展」を政策目的とした「沖縄開発庁設置法」「沖縄振興開発特別措置法」「沖縄振興開発金融公庫法」の3つの法律である。

 沖縄振興開発体制は日本政府の経済的依存が深まる結果となり、基地問題への異議申し立てを困難にしている。

 

6 昨今

2015年 140万人

2020年現在人口は145.7万人

ここ数年も沖縄県は人口が増え続けている。

 

7 海外、県外に住む沖縄の人々について

 経済学者の平恒次(たいら・こうじ)は海外に移住した沖縄由来の人々とのネットワークの結節点として「沖縄」を捉え直すことを提唱している。世界に展開した人々も含めた「沖縄」を視野に入れた施策を提唱している。その意味で沖縄の歴史は「沖縄に定住する人たちだけのものではない」と同書では述べられている。

 

まとめ

沖縄県の所得水準を見ると全国平均より低位にある。この水準で「基地があるのだから経済がもっている」と言えるのだろうか。「他の地域より得をしている」という考え方は誤りである。基地依存経済への不安を理解できなければ、沖縄のことは理解できないのではないか。

 

2000年代から沖縄への移住ブームが起きていることを反映し、現在でも増え続けている。特に近年は外国人の大量流入が顕著で、2019年には前年度比17.7%、3195人も増加している。

 

「基地依存経済からの脱却」という言葉の裏には「戦前の経済危機の経験」や「独立した産業の不足」などから「既存人口を維持できないのではないか」という不安がある。戦前と終戦直後に「過剰人口の解消」という政策命題が建てられていたことと地続きである。

 

同章の中で紹介されている平先生のお話の趣旨がいまいち掴めなかった。フィリピンのような出稼ぎ経済を提唱しているわけでは無いだろう。海外へのネットワークを活用した事業の可能性についてのお話であれば理解できなくもない。