義務教育時代、あるいは高校まで含めて「社会科が嫌いだった」という方がいる。
非常にもったいないと思うのだが、嫌いなものを無理強いするわけにもいかず、余計なお世話だと思うのでいつも黙っている。
大人になっても博物館巡りなどを敬遠し、ニュースを見ても深い理解ができない。これだけなら特に問題ないかもしれない。実際そのことで社会生活上本人が困ることは一部の職業を除いてほとんどない。社会科を毛嫌いして「もったいなかった」感じることがあるくらいだろう。
だが、社会生活上問題がないわけではない。
歴史が好きなら、昔の話を1つ聞いてもさまざまな理解ができる。
地理が好きなら、1つのニュースを聞いても複数のことに気がつくことができる。
こうした経験が積み重なると、日常生活の中でもある一つの情報で複数のことに気がつくことができるようになる。
これらは基礎教養の上に成り立つ知識のバックボーンがあるからだ。
無論社会科だけではない。
社会科を嫌いな人を見ていると、一つ気がつくことがある。周囲に「知識がないこと」をバカにする人がいることだ。嫌いな科目を持つ人の多くは、バカにされて恥をかかされた経験があるのではないか。もしそうなら、呪いにかかっているようなものだ。