在日「特権」について

「在住外国人には特権が存在する」と主張する人が根強くいる。

我が国に外国籍住民に対して「特別な取扱いが制度上存在する」とする主張を放置すれば、その真偽に関わらず日本社会の水準や日本の三権の信義が世界から問われるだろう。戦後国内に残された旧植民地出身者をどう遇するかは、戦後処理の適切さを示す一つの指標でもある。

在特会などが当初主張していた「特権」は殆どは勘違いだったことが判明しているのだそうだ。その主張が何で、今はなんと主張しているのかは詳しく知らないし知りたくもないが、「特権がある」という噂が立ってしまったのには背景があると思う。複雑でわかりにくい社会制度がそれだ。そしてもうひとつ、行政が「特権説」に反論してこなかったことも一つの要因だと思う。

わかりにくい事象は噂の温床だ。

外からは理解しにくい物には噂が立ちやすい。幽霊の噂は人の死をうまく理解できない(受け入れられない)私たちの心の動きと密接に関連すると思う。実際、自分が信じたい物しか信じない人がいる。いや、我々は誰でもそういう面を持つのだろうな。

「信じたい物しか信じない」という態度を取っていると、自分にはよくわからない物を見た時、噂や安易な解釈を信じてしまうことがある。都市伝説研究の中にはそんな説があるような気がしたが、どうだったか。外国籍住民の特権説はその典型だと思う。在住外国人の生活実態なんて詳しく知る機会なんてあまりないし、彼らを巡る法制度なんてもっとわかりにくい。本で読んでもよくわからない。

まずはじめに、自治体の首長も、議員も、行政職員も「在日特権なんて存在しない」と明言すべきだと思う。法律はそんなに柔らかくないし、むしろ融通が利かないモノだ。あるいは、市町村独自で過去の経緯から違法な事務処理をしている役所があるのかもしれない。私は直ちにその手の扱いを改めるべきだと思う。理由は噂の温床になるからだ。長期的には外国籍住民のみなさんのためにもならない。

過日の橋下氏と在特会会長のののしりあいで、言葉遣いを指摘する電話が市役所にあったそうだ。ピントズレも甚だしい。住民の危機に怒った市長は正しい。反撃を試みた市長は正しい。しかし、丁寧な言葉で話して欲しかった。言っていることに道理があったと私は思う。

橋下市長の言うように、桜井会長は制度を不正利用している人を知っているなら、その個人を刑事告発すべきだ。「特権」があると思うなら、国の制度を批判すべきだ。市町村が癒着していると思うなら、その窓口に直接怒鳴り込めばいい。議員に訴える手もあるのにね。

在住外国人の存在は歴史や社会、経済が生み出した、という側面がある。本人達がその時に置かれた状況を打開するために、あるいはベストの選択をするために、努力した結果である。その彼らの人生に必要なのはヘイトスピーチではなく、優しいまなざしだと思う。

いや、人の生き様を振り返ってみれば、その外国籍住民の方の選択がベストとは言えないこともあるだろう。努力できなかったことや、誤ったことをすることもあるだろう。しかし、元来その全てを含んだものを「人格」と呼ぶのだ。彼らの生き様を面罵すれば、人格を否定することにならないか。

朝鮮半島が「日本国内」だった時代に、国内交通として日本に渡ってきたとして、何の罪悪いのだ?生活基盤を置いた場所が、ある日突然「外国」になった人に対して当時の役所の担当が片目をつぶったとしても、やむを得ないんじゃないだろうか。そうした人たちには社会的保護が必要であり、地域の信義に関わる。杉原千畝は国の訓令に反してビザを発給した。あれは批判されるべき行為なのだろうか?

大学の授業で在日コリアンのインタビューをしたことがある。その中に「終戦後の引き上げのどさくさで日本に不法移民してきた」(本人談)方がいた。しかし、あの時代はそういう時代だった。豊かな時代しか知らない私たちが、それを「罪」とするなど無理があると思う。

例えば終戦直後の食糧難時代に、配給だけで生きた人はほぼいない。皆が闇米を求め、食料を商売にする人は警官に賄賂をわたし、警官も黙認した。そういう時代だったのだ。その方は「不法入国」という言葉を使ったが、責める気は全然しないのは私だけだろうか。

外国籍住民の中に生活保護の不正受給ケースが無いわけではない。当たり前じゃないか、日本人は全員善人でないのと同じで、外国籍住民だって全員善人ではないのだ。それは特権が存在する証明にはならない。そもそも不正受給者の殆どは日本人だ。その中にわずかに同国籍者が含まれたからと言って「特権」にはならない。

全国を隅々まで探せば「私は在日だ」などと被害者ぶって、公共料金などを踏み倒している人もいるかもしれない。だが、色んな理由をつけて踏み倒そうとする人は山ほどいて、その圧倒的多数は日本国籍者だ。理由がたまたま国籍だというだけの話だ。それは「在日特権」なのだろうか?

そもそも「私は在日だ」と被害者ぶって義務を逃れようとすることはそんなに悪いのだろうか。彼らに日本の法律は長いこと平等でなかった。都合の良いところは日本人並みの義務を課し、都合の悪いところは権利を奪った。頑なになるのは当たり前じゃないか。それは日本社会が恥じるべき所であって、改めるべき所である。彼らにヘイトスピーチを浴びせるのは違うのではないか。

「私は在日だ」と頑なな態度を取ってお店や役所でトラブルを起こす人がいることは想像がつく。なぜならば、我々日本国籍の人も別の理由で頑なな態度を取ることがあるからだ。「年寄りは死ねと言うのか!」とか理不尽な要求をする言葉をよく耳にする。

特権説を信じ込んでいる在特会の人々を放置することで、どれほど多くの人が傷ついているだろう、と私は思う。そのことに焦って橋下氏はあんな言葉を使ったのだろうか。一方で在特会の人々はどんな人たちなんだろう。どんな悲しみを抱えて生きているんだろうと私は思う。

とても残念だけど差別は絶対無くならない。しかし、この街で暮らすのなら、私たちは友達になる努力をし続けなければならない。それを最初から放棄してはいけない。問題は正論で正面から解決しなければ、長期的解決は得られない。その点においては橋下氏も在特会会長も双方同じだけ間違っている。

「特権」があると信じるのは自由だ。しかし、本当に社会を変えたいと思うなら、自分や仲間が選挙に出るのが筋である。桜井会長は「政治はきらい」との主旨の発言をしているが、私も嫌いだし苦手だ。だが、好きな事ばかりして生きていても、社会は変わらないじゃないか。

もう一度言う。「特権」なんてホントにあるの?仮にあったとして、突然日本国籍を剥奪されて生活基盤を奪われた人の生活を保障することが、そんなに悪いことか?平穏に暮らしてきた人がまともな暮らしが出来ないとしたら、それは日本の不名誉なんじゃないのか。