生活保護費不正受給問題

生活保護の扶養義務について、ある程度議論が出尽くしたようだ。(というか、飽きただけだと思うが)
相変わらず現実からかけ離れた意見が本当に多く、ほんとうに辟易した。日本国民は自らの受益についてはうるさく、他人に与える事については狭量である事が浮き彫りになった。ネット上は見るに耐えない意見にあふれていたし、一部マスコミ反応の中には、生活保護制度の基礎的な知識を欠いたものも散見された。
社会保障制度の実情については、個人情報の塊なので事例を提示して説明ができないという性質を持つ。従って、現実を知らない国民が多いのは無理もない。しかし、そのことは「現実を知らないままに議論する事に疑問を感じない」ことの免罪符にはならない。
今回の偏った制度批判によって一層必要な人に届かなくなるだろう。

  • 不正受給は本当に多いのか

厚労省の試算によると22年度の不正受給額は128億円。全体の0.4%を割っている。一見、額は大きくても制度の性質から考えて、妥当だ。というか、現場も制度運用者もよくやっていると思う。
不正受給よりも対象者自らによる申請が基本なので、捕捉率の低さの方が問題である。

  • 受給者の姿

家計がひっ迫しているのに、子どもが沢山いる家庭がある。事情は様々だ。よくあるのは経済的に苦境にあるシングルファーザーとマザーが寄り添う場合もある。自分と似た境遇の人に助けの手を差し伸べるという企図は正しいことだと思う。家計破綻は結果である。
稀に、「宗教上の理由」というのもある。避妊、中絶等が出来ないのだ。

扶養義務で問題になる典型例としてはひとり親世帯だ。当たり前だがひとり親世帯が最初から一人しか親がいないわけではない。ある時点から離婚や別居によってひとり親世帯になるのである。今回の騒動の中で母子家庭への批判が少なかったのは不幸中の幸いだが、過去の生活保護批判の中では、しばしば繰り広げられて来た。
母子家庭批判の中には、母子家庭が最初から母子家庭であったと言う前提で批判を発している人が少なくない。ひとり親化する過程や現実の状況を想像する力が無いのだろう。
しばしば問題になるのは、夫婦の扶養義務がどこで解消されるのか、と言う問題である。離婚係争中は実質別居していても、いつから「生計が同一でない」と判断されて扶養義務が消えるのか、外部からの判別は困難を極める。夫婦問題は男女関係でもあり、完全に関係が切れずに、つかず離れずな場合もある。経済的な苦境にあれば、支援者がいれば頼るのは当然である。そのような関係はしばしば見られるが、その場合、何を基準に「関係が切れた」と判断すべきなのだろうか。
扶養義務について声高に叫ぶ人は、そうした現実についてどう思うのだろうか。

当たり前だがひとり親家庭の親は再婚する事がある。籍を入れて同居を始めれば問題は無いが、籍を入れただけで生計を別にしたり、同居しなかったりする例もある。
事実婚についてはどうなのだろうか。籍を入れなくても事実婚状態になれば扶養義務が発生するが、いつから「事実婚」なのかの判別は困難である。
扶養義務強化論者は、一体このあたりをどう考えるのだろうか。
過剰に干渉すれば再婚や交際を妨げる。ある程度はやむを得ないのかもしれないが、恋愛の自由を奪うことに私は強く反対する。

  • まるで他人事

今回の騒動で非常に興味深かったのは、扶養義務強化論者の大半が、まるで他人事のように批判していた事だ。家族のだれ一人病むこともなく、成人はみんな働いている「何の問題もない」世帯がいったいどのくらいの割合であるのだろうか。大抵どの家庭も何かを抱えているものだ。しかし、現在はたまたま問題が許容範囲の中にあるだけであって、もしも個々の問題が同時進行した場合、どんな家もあっさり傾くのだ。

  • 受給者のパチンコ問題

産●新聞をはじめお馴染みのアレな一部マスコミ(笑)が、受給者のパチンコを今回も批判していた。自分の経験を思い起こしてみると、貧困と孤独に追い込まれると判断力や思考力が失われる。パチンコですんでいるうちはまだいい方だ。

  • 扶養義務強化について

子が社会人になり、生活保護が止まる世帯がある。子は社会人一年生からいきなり扶養義務を背負い込むことになる。多額の借金や未払いの医療費や発生した税金を一度に背負わされ、潰れる人が少なくない。家族を捨てれば幸せになれるが、行政は家族を背負わせる。

「外国人に生活保護を適用するな」という意見が盛んに聞かれた。日本は先進国なので、そんな発展途上国のようなことはできないが、仮に国民の総意で発展途上国的制度に変えたいということであれば、考えてもらいたいことがある。大半の外国人が適正に納付した年金保険料や健康保険料、税金で多くの日本人が扶助されているが、それついてはどう思うのか。

外国人への適用でよくあるケースにこんなものがある。全国に無数にある例だが、日本人の夫と外国人の妻が離婚し、その原因が夫の暴力や怠業、浮気等による場合だ。それでも「外国人には適用するな」と言うのだろうか。いったいどこの低開発国の話だ?
私は妻と子供たちを卑劣なその男に替わり日本社会が責任を持って扶養すべきだと思う。それが日本の名誉と言うものではないのか?

「日本の生活保護を目的に来日する外国人がけしからん」という意見もあった。このことについては、縦割り行政の問題もあるだろう。だが、「日本の生活保護を目的に再入国する日本人」はどうなのか。同じことではないのか?問題の本質は「外国人」ではなく、制度の抜け穴ではないのか?制度不備や官庁間の連絡不足が批判されるべきなのに、「外国人」という言葉をことさらに登場させた理由は何か。差別的感情をもっともらしい理屈に載せて発してみたかっただけではないか?卑劣な仮面レイシストに、私は強く反対する。

制度から外国人を排斥しても得られる利益は数十億だ。この程度では財政はびくともしないが、失う国家の名誉は計り知れない。どちらを選ぶも有権者次第、日本人としての在り方が問われる試金石である。やりたければやればいい。だが、アジア諸国が日本の制度を取り入れていることを忘れないでいただきたい。

  • 最後に

個人の生活が最大限尊重される社会でなければならない。これを自由主義という。出生、門地、性別、職業で区別なく同じチャンスがあることを平等主義という。日本は法と自由と平等の国であり、まともな社会保障がある先進国であってほしい。



〜蛇足
法律の適用には改善すべき点は多々あるが、しかし今回の騒動を見てしみじみ思った。今の日本人は先進国の名に値するだろうか。
今回の騒動で受給者を中傷し、外国人への適用に怒っていた仮面レイシストたちも、将来生活保護の適用を受ける可能性は充分ある。当然の事であるが、この制度は日本の法律で運用される限り、中傷していた人たちにも平等に適用されるべきである。