イスラームとは何か
小杉泰
講談社現代新書

イスラームとは何か〜その宗教・社会・文化 (講談社現代新書)

イスラームとは何か〜その宗教・社会・文化 (講談社現代新書)

イスラム原理主義が再び台頭している・・・ような印象を受ける。

エジプトなどの何とか「革命」は、失敗した。というか、失敗する事は最初から解っていたのだ。国民は独裁の終焉させれば、もっと豊かになれると踏んで戦いに踏み切ったが、ビジョンなき革命は外部状況次第であり、欧州危機真っ最中のアラブ世界の「外部」は、今まさに最悪の時期であった。
不幸な革命家たちは、独裁者がその弊害を無くすために独裁を選ばざるを得なかった旧体制、すなわち「イスラム」にすがろうとしている・・・という理解で良いのだろうか?

私の知るイスラムは3つしかない。
四半世紀前、学生の頃旅行したマレーシアで聞いたアザーンラマダーン、上海で目にしたウイグル人とそのためのレストランである。中国にいたときは、中華料理に食べ飽きたときに清真系のレストランに時折お世話になった。以上、あまりに乏しい知識である。

そんなわけで、「イスラム」教を勉強する事にした。

A.D.7C クライシュ族の「ハーシムの子孫」ムハンマドによって西アジアで創始。創始された頃は、西アジアにはササン朝ペルシアの「ゾロアスター教ユダヤ教キリスト教などが混在しており、多神教偶像崇拝も盛んであった。都市間交易が盛んになり始めた頃であり、貧富の差が拡大し始めていた。しかし、既存の宗教が勃興した商人に新しい倫理を与えることはなかった。
当時、この地域は部族による統治が一般的であり、地中海世界の皇帝、やペルシアの王権とは異なった社会を持っていた。

キリストと異なり、ムハンマドはあまり「奇跡」を見せるような行いはしなかった。神の啓示と言葉を瞑想中に大天使ジブリールから預かり「預言者」となった。(「予言者」ではない)預言を保管するだけではなく、布教する「神の使徒」となって布教した。40歳で啓示を受け、63歳で死亡するわずか23年の布教であった。



マッカ(メッカ)での迫害を逃れ、ヤスリブの街に移住する。ヤスリブでは2部族が抗争に疲れ、その調停者的役割でムハンマドを呼ぶ事にしたため、支持を得る事が出来た。ここにムスリムは国家を持つ事になる。

(貧富の差が拡大する中で発展したことを背景に持つ事から、どこか革命者、改革者のための宗教としての色合いがあるのではないか。イスラームには政治経済と密接な関係を持とうとする性質が他の宗教より強い理由は、ここにあるのだろうか。途中で部族を統合する国家を作る際に成立過程との矛盾は生じなかったのだろうか。)

マッカ側との戦いの記録では、利に釣られて動いてしまう軍事勢力の記述がある。部族社会であるため、分配こそが統合の必要条件なのだろうか。
マッカ側が決定的な敗北をする包囲戦では籠城戦が長引くに連れ、包囲側の連合軍組織は利の分配が必須であり、離脱をする部隊が相次いで失敗する。

ムハンマド晩年には、アラビア半島は統一されたが、死後いくつかの部族が離反する。ムハンマド個人との契約であると主張する彼らを破ることに、アブー・バクルは第1代カリフの治世を費やす。このことで、部族間、個人間の契約により国家が成立していた時代が終わり、イスラームの契約に寄って国が成立するようになった。

第三代カリフがエジプトから来た不満分子に暗殺された。急拡大した国家は、内部に不満分子や改宗したての国民を抱える事になった。最初の政治的な混乱期に突入する。第4代カリフは統治に失敗し、正当カリフ(信仰心の篤い者が統治する)時代が終わりを告げる。