箱物行政は何が問題なのか

地方自治体が不要不急の施設をつくる余裕はすでになくなっている。

しかしながら、いまだに一部の市町村はその箱物作りをやめない。この数年、景気対策や国土強靭化などの名目で多額の箱物予算がばらまかれたことも、そのことを後押しした。

箱物は何か実績を残したような体裁を整えることができるため、成果を急ぐ首長などが主導して作ってしまう。専門的知識にも、住民の意思にも裏付けられているわけではないため、安っぽく成果を上げない建物ばかりができてしまう。

 

「あんなものを作るなんて税金の無駄遣いだ」という批判が上がるが、この批判をもって首長や行政を追い詰めることはできない。「実績をあげている」という証拠づくりは行政職員の専門領域だからだ。住民情報や産業界の情報を掌握する行政にとって数値や印象操作は外の人が思う以上に簡単なのだ。

 

箱物の最大の問題点はそこにはない。

一番の問題は固定費の上昇にある。

作ってしまった以上維持費がかかる。しかし、多くの箱物首長はこのことを考慮していない。全て担当課が行うからだ。予算額が大きくならないように財政部門が抑え込んでしまうため、首長とその周辺はことの深刻さに気づくことはない。

修繕費は年々増えていく。特に10年を超えたあたりから水回りが壊れ始めるため、コストが大きくなっていく。結果として福祉や教育部門を毎年削ってコストを捻出することが慢性化していく。

 

教育や福祉部門は個別的な突発的な住民の危機、いわゆるケース対応に備えるために余裕のある人員を配置しておかなければならない。しかし、多くの自治体でこれができなくなりつつある。その根本的な原因は、箱物の維持に人員を割いているからだ。人員が不足するなら業務委託などすれば良いが、そもそも修繕費に予算を取られているためそれにも限りがある。

隠して教育と福祉という行政の本務が後回しにされる構造が出来上がる。

 

民間では激変する市況に対応するために、固定費を増やさず、やむを得ない場合も可能な限り変動費に置き換えるなどの努力がこの20年間くらい続いている。

この程度の簡単な仕組みが理解できない人物を選挙で選んでしまうと、将来の数十年にわたってその地域の住民の生活を圧迫することになるが、教育や福祉は見えない無形のサービスが多く、ほとんどの住民は気づくことがない。短絡的な箱物行政を支持する候補者に票を投じてしまう有権者が後を絶たない背景にはそんなことがあるのだろう。