2つのオーバーツーリズム

 

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 同書の多くの紙面はオーバーツーリズムの話題に割かれてている。

 

 WTO「オーバーツーリズム」定義:

「ホストやゲスト、住民や旅行者が、その土地への訪問者を多すぎるように感じ、地域生活や観光体験の質が看過できないほど悪化している状態」

 

 京都の例や大型クルーザー寄港候補地として揺れる奄美大島などの事例が取り上げられているが、大型観光は観光体験の質を確保できなくなる事がだいぶ以前から判明している。地元の生活が圧迫されるだけでなく、客単価が非常に低く場が荒れる割には収支が良くない。大型観光、つまり量の観光ではなく、質の観光が求められている。

 「適切な管理と制限」が必要だが、役所はこの点では禁止を増やすばかりだ。創造的解決案を考える必要がある。景観向上、法整備、システム改変、意識改革が急務だが、何よりその観光地、景勝地の「本質」が何かが重要。地域住民のコンセンサスが鍵になる。

 同書にはあまり書かれていないが「オーバーツーリズム」にはもう一つの側面があると思う。

「観光施策が地域の施策を歪める」という側面だ。

 私たちは兎角、産業政策といえば「観光」と口にしがちだ。実際は非常に高度な産業だが、なぜか素人でも「観光振興」施策を考えられると思いがちなのは何故だろう。素人の考えた「ボクの考えた最高の観光施策」が実際に選挙によって選ばれた人々によって実現されてしまい、目も当てられない状況になっている地域は日本の各地にある。

 同書を読んで私が懸念したのは、コロナ後のことだ。

 もしコロナが終われば(なんだか昨今の状況を見る限り終わりそうもないが)インバウンドブームが再開するだろう。そして数字に踊らされ地域にとって適正な観光予算の見積もりができない市町村や都道府県が今後出てくるのではないか。すでに無用な箱物を濫造して重い負担を背負っている地域もある。

 そうした地域の多くでは、現時点ですでに「本質」をクリアできないような質の悪い施設が何もかもをぶち壊している。だからインバウンドの対象にもならないだろうから問題はないと考えられるが、問題はコロナ再開後の「経済対策を」という掛け声の中で、「観光」にあまり力を入れてこなかった自治体までが急に色気を出してくるのではないか、ということだ。

 無用な観光施設は地域住民のための福祉や教育予算を奪う。その挙句に観光公害が発生すれば目も当てられない。インバウンド再開前に地域でコンセンサスを作っておくことはできないだろうか。

 

、、、というようなことを、昨今の日経新聞の「コロナ後は」という記事を読むたびに思う。