長所が短所に変わる時

組織が致命的なことになるのは、その長所が短所に変わる時なのかもしれない。
前職時代に、多くの会社の危機を見てそんなことを考えていた。
 
多くの会社組織では数値目標を設定し、それを実現するために必要な投資を行いアクションを起こす(そもそも数値目標すら立てない企業もあったが、それはさておき)。
ところが「必要最小限で実現を目指す」よりも、「徹底して行い、少しでも早く達成しようとする」傾向があった。今はどうなのだろう。
ある時点から数値達成そのものが目的化し、本来の目的が忘れられることがある。徹底しない社員や部門を糾弾し、そのことが儀式化したり、組織内正義としてまかり通った理ようになる。利益の最大化を図ろうとするより、中には正しさを守る存在でありたいと思う人がいるからだろうと思う。
 
この場合、徹底化を図っているだけに、かえって方針転換が困難になるケースをよく見かける。ひどい場合は数値目標から数値すら忘れられ、掛け声だけがまかり通るようになる。
秩序立って組織的に目標に向かって努力できるのはその組織の長所だが、いつの間にかそれ自体が目的化し、誰も数値に責任を負わなくなったり、徹底化のための行動から外れる者を非難するようになる。
 
ちなみに下諏訪町は「観光の産業化」を新町長のもとで進めるそうだが、15年前にも同じことを言っていた。その時にコンサルタントに高いお金を払って数値目標を立てたのだが、あれは毎年検証されているのだろうか。町内の関係者に今も共有されているのだろうか。寡聞にして聞かない。
 
20年前も、30年前も同じことを言っていた。もっとも、これまで目標数値は何かの箱物を正当化する手段として用いられてきたので、もっとひどい違う者だったのかもしれない。
 
ここでも長所が短所に変わる例が見られる。
「豊富な観光資源を持つ」と下諏訪町の人々は形容する。温泉と神社と自然資源といった、複数の観光資源をもっていることからそう考えているのだが、複数の天然資源は投資先の分散化を招き、自らの持つ資源がBクラスであることを客観視できなことで投資の規模を誤り続けた。そしてそれを誰も批判できない。
長所が短所に変わるお手本のような状況になっている。
客観視のために率直な話し合いが必要だが、最近はほとんどされていないように思う。