観光業とは何か

 

ツイッターで岡山の鎌田桂輔さんからリプをいただいた。

「観光業とは何か」という話題で、「そもそも論」のあたりから今の私の考えを少しまとめておきたい。

 

 下諏訪町では首長選挙のたびに「観光業を〜する」ということが新聞紙上を飾る。住民集会で出る意見の中にも、毎回のように聞かれる。

 よくある説明は、「外貨を稼ぐ産業」という角度から説明し、「だから活性化しなければ」と続け、当選後は予算を投入していくのが毎度のパターンである。

 少し考えればこの論理構成はおかしい。「外貨を稼ぐ」産業は他にもある。何より下諏訪町は製造業がその主力だ。経済規模の差は「懸絶する」と言ってもいい。だいいち、既存あるいは新設する観光事業者に「外貨をもっと稼いでもらう」ということは、少しくらい予算をつぎ込んだくらいで簡単にできるのだろうか。そんな便利な事業があるのなら、事業者自身がとっくに始めているだろう。そうでなくても銀行が融資の話を持ち込んで、とっくに事業化されているはずだ。

 なぜみんなそのことを考えてみないのだろう。

 どうしてみんなそんな錯覚に簡単に陥ってしまうのか。

 

 そもそも「観光業」とはなんだろう。

  観光客を主な顧客としている事業者をよく見つめてみれば、「利益率の高い商業」と言い換えることができる。傍目から見れば派手にお金が流れているように見える。高い利益を得るためには質の高いサービスが必要であることから、地域全体の雰囲気がとてもよくなる気がする。ちょっとしたアイディアで大成功している例が紹介されている。「観光政策」という言葉には独特の響きがある。「わが町も」と思うのだろう。

 しかし、実際はそんなに簡単なものではない。高い利益率はリスクの引き換えでもある。微妙なバランスの上で事業を行なっている事業者も多い。

 確かに事業者の収益に繋がる政策を作ることができれば、非常に大きな経済効果に繋がるだろう。しかし、現場に何度も足を運び、自らも実際に従事してみた上で、よほど丁寧に分析しなければ実際には難しい。そんな余裕が今、どこの自治体にあるのだろうか?「成功している」と紹介されている自治体ですら、実際は影響はごく一部なのに作文してごまかしているか、視察や取材をしている人が悪いところを見ようとしていないだけだ。

 ところが多くの自治体ではそう考えない。勇ましい、景気の良さそうな、意識高い系の「関係者」の意見に引きずられたり、「専門家」の意見に飛びついたりしてヘンテコな箱物を作ってしまい、その修繕に予算と職員を取られてしまっている自治体もある。気がつけば事業者の収支改善どころか、「一部の業者の利益になることは許せない」などという最早目的が何だったのかわからなくなるような意見に横車を押され、事業者とは無関係なところに予算をつぎ込んでしまったりもする。

 そもそも、観光業の恩恵を受けている人はごく一部だということが理解されていない。「地域全体、隅々までお金が行き渡る観光地」はごく一部である。そんな事情も理解されないまま「観光政策」が吸血生物のように予算を吸い取っている。

 

 もう一つ、経済の基本が理解されていない。

 「外貨を稼ぐ」ことができなくても、内部での経済循環でも付加価値は生まれる。

 「仕入れたものより高く売る」のだから当たり前なのだ。それは誰でもしている事だ。そもそも、経済それ自体が一つの世界の閉鎖経済系だ。

  下諏訪のような中小規模の観光地で仮にどれほど良い政策が用いられても、この町のごく一部にしか経済効果はない。一方で、観光と名のつかない商業者が少しでも仕事をしやすくなれば、それだけで大きな経済効果を得ることができる。何が優先なのかは自明なのだ。観光客が沢山やってくれば、派手な見た目に多くの人が喝采をおくってしまう、この錯覚の構造をそろそろ断ち切る必要があるのではないか。

 もっとも「あなたが見ているものは錯覚です」と言っても、信じない人は多いだろう。書いていて情けなくなってきた。