日本社会の特徴と過去を教訓とすることについて

ようやく読み終わりそうだ。

www.shinchosha.co.jp

 

国民健康保険制度のはじまりは戦前だったことを、どれだけの人が知っているだろう。もちろん財政体力が列強より劣る日本が「国民のため」だけで行ったはずはなく、軍事力強化の理由もあった。

「陸軍は農村の力を背景としていた」というところから当時の社会情勢を解説しているところは面白かった。惨殺された海軍幹部の永山鉄山(諏訪出身)は軍隊のエリート階層から支持があったが、犯人は皇道派(農村などの兵士が支持)だった。

当時は農村の青年の体力次第で、優秀な兵士を確保できるかどうか決まってしまったと言っても過言ではないのだろう。同書の中で詳しく知ったのだが、大学生や都市部の重化学工業に従事する若者には、徴兵猶予の制度があったのだそうだ。

普通選挙がすでに導入されていたとはいえ、政党は都市住民を基盤としていた。結果、政友会などの政党は農村の意向などは二の次になってしまう。小作人の権利拡大など優先順位は極めて低かった。今から振り返ってみれば、農村を基盤とすることを選択した毛沢東が中国最後の勝利者となったことを思えば、農村を軽視した政治家はいかにも不明であったと思えなくもない。

そんな中で軍隊が農村振興を打ち出した。当時の軍隊は第一次世界大戦の教訓を戦訓としていたというが、ドイツ敗北の原因の一つに「食料地帯の喪失により国民全体が食糧危機に陥り、かつ思想的にも敗北したことにより国民が士気を喪失した」という結論を持っていたという。

軍隊が立憲政治に介入するのは最悪のシナリオだが、もしも国民の大多数(当時の国民の過半数は農民)のための政治を軍隊が行うとしたらどうなのだろう。政党政治は一進一退を繰り返しながら進むものであり、社会改良は国民は立憲政治より軍隊による社会改良を選択するのではないのか。

今の政治を振り返ってみても「民主党の失敗をことさらに言いたて、自民党総裁が官邸主導で行う政治の方が素晴らしい」と考えている国民は多い。素人考えに主導されることの矛盾は短期的には顕在化しないので誰も問題だと思わない。

 

日本の軍隊は対ソ戦、対米戦に備えるために満蒙を必要とした。しかし一方で国民には「中国の国民党政府が条約を守っていない」と訴えて自らの大陸での行動を正当化しようとした。世界恐慌の混乱は軍側に追い風になってしまった。歴史上、経済混乱は軍の伸長に繋がることがあるが、日本においては農村の疲弊が軍への期待へと転化したからだった。コロナ下の危機を乗り切るために誰が何をしようとしているか。この構造を頭の隅に置いて注意深く観察したいと思う。

 

満州事変についての顛末も面白い。

軍隊が権限外の作戦行動をするためには閣議決定が必要だったが、決定なしに関東軍は動いた。その穴埋めのために朝鮮軍(半島に駐留していた日本軍)が中国の国境を越えてしまう。国境越えには奉勅命令が必要だが、それもなしだった。内閣は強いリーダーシップを発揮すべきところだったが、閣内は結束しておらず、一方で現場の軍人たちは結束して強い決意で行動していた。国際連盟で問題になることを意識した内閣は、朝鮮軍の越境は認めなかったが増派の予算は認めてしまう。

現場が結束して反乱を起こしたとき、経営陣は結束して鎮圧に当たらなければ負けてしまうことがある。もちろん、その逆もあり得るのだろう。反乱を鎮圧する場面に人生の中で出くわすことがあるとはあまり思えないが、反乱側の方法論としてよく覚えておきたい。

 

1930年代後半、対米英蘭戦の遂行に疑念を持つ天皇の説得に、大坂夏の陣豊臣氏を持ち出したところも興味深い。難しい説明を上層部にするときは、自分に都合の良い戦訓でもっともらしいものを持ち出して説明すれば良いのだろうか。説得される側もたまったものではなかっただろう。

蒋介石胡適汪兆銘の3者が日本人が思っているような政治家ではなく、賢明な人物たちであった。

 

胡適は「日本切腹、中国介錯論」で知られている。対日戦争に米ソの力が必要である。彼らを巻き込むために、中国は数年間戦争で負け続ける。欧米相手に戦争を仕掛けざるをえない状況に日本を追い込み、切腹に向かう日本に対して中国は最後に勝利する、、という戦略を描いていたのだそうだ。何かにつけて完璧でないと気が済まない日本的組織では、到底受け入れられないような考え方だ。

一方で汪兆銘はそのような戦争の結果、中国がソビエト化するのではないかと危惧した。結果として彼は日本と妥協することを選ぶ。汪兆銘をただの裏切り者だと思っていると、歴史全体を見誤ることになる。汪兆銘の妻が「蒋介石英米を選んだ、毛沢東ソ連を選んだ。夫は日本を選んだ。そこにどのような違いがあるのか」と反論したそうだ。この奥さん、なかなかの気骨のある人物だと思う。

 

「輸送力不足が日本の敗戦の原因の一つであった」と言われているが、この背景はどうだったのだろう。同書によれば軍は大西洋でのドイツの無制限潜水艦作戦の際の英米輸送力の損耗率を参考にしていたことがわかっているという。当然だが太平洋を主戦場とする以上、損耗率は大幅に跳ね上がる。そもそも大西洋で活動できたドイツの潜水艦の数は実際には数十隻程度でそれほど多くはない。一体何に軍はとらわれ、何を見誤ったのか。

同書では戦争の早期収束を狙っていたことから、開戦をするならば早い時期が良いと考えた軍はそのようなロビイングを行ってしまった。また、米国の工業力が想像を絶していたからだという。

上海での中国軍の戦いは日本人の多くが誤解していると思う。蒋介石とドイツとの関係の良さからドイツの軍事顧問団を得、ソ連の対日戦先送りの方針からソ連から軍事援助を受けることができたこと、抗日運動の高まりから士気も高かったことから、上海戦では大変な犠牲を日本軍は出すことになる。日本は中国の沿岸部の多くの地域を占領するが、それでも中国が降伏しない。その原因を援蒋ルートだと考えた日本は、仏印進駐を行ってしまう。

外交状況で負けれいれば、何をやってもうまくいかない。

 

などなど、現在にも繋がる多くの教訓がこの本1冊だけでもたっぷり書かれていた。

返す返すも1930年代の専門家から助言を聞かないことにした国のトップについては、どうしようも無いアホだと思う。