荻上チキ氏による「戦争といじめ」

今回の動画のテーマは「戦時下のいじめ」について。

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戦時下には多くのいじめの記録が残っているとのこと。動画の中での荻上氏のお話を自分なりに要約して書き起こしてみたので以下、シェアする。

 

戦争については知られていないテーマなどがあると考えられる。現代の研究ではストレス下ではいじめが増えることがわかっている。排除や分断を煽ることが社会的ストレスを生み、それがいじめの温床となる。戦時下では大きなストレスがあり、いじめが横行していたことが資料からわかる。多くの人が戦時下のいじめについて語っていないため探すのは難しいと考えていたが、次々とエピソードが出てきた。

 

日本においては、80年代以降、いじめに関して保守系言論人による誤った言説があった。「戦後教育の失敗」「戦後民主主義の失敗」といった趣旨で、「戦うことを教えてもらえなかったからいじめが起きた」のだ、と表現した言論人がいた。「戦前はそれほどいじめはなかった」「戦前は問題はなかった」と整理している者がいるが、それは間違いだ。

 

いじめの記録は多く残されている。事例を4つ紹介する。

 

1)学校でのいじめ

戦争や国のために役に立つかどうかが人の評価の基準となる社会だったため、役立たない大人や子どもは爪弾きにされていた。学校では、病気で休んだその日からいじめにあった記録が残っている。病人は国賊、非国民とされたという手記が残っている。社会に役にたつのかどうかという線引きでいじめがあった。

 

2)疎開先でのいじめ

疎開は温床となった。「東京人は口がうまい」「お世辞使い」などと言われクラス全員に無視された。手口は椅子を隠された、教科書や消しゴムを隠された、など。「都会から来た生意気なもの」とされた。

 

3)予科練でのいじめ

様々な体罰が横行していたが、代表的な2つを紹介する。

アゴ」とは、拳で顎を殴られる体罰である。新兵は口の中を切って血を吐いてしまう。

「バッター」とは軍人精神注入棒という棒で尻を殴打されることである。痛そうな顔をすると何回も殴られた。執拗に殴られ、気絶すると水をかけられ更に殴られた。訓練中負傷とされて入院した者もいる。このように軍隊の中では初年兵いじめが横行していた。海軍では「バッター」が艦船の中などが置いてあり、今でも資料館で見ることができる。

公には禁止されていたと言われているが、実際には当たり前のように行われていた。

 

4)街の中「銃後」でのいじめ

通常の街の中では配給の順番待ち、千人針を縫う、消火訓練などが行われるが、そうした人々の連帯、関わりが重要だった。社会的関係が必要となる場所では、しばしばいじめや村八分が見られた。

 父が英字新聞を読んでいたり、娘がミッション系に通っていたことが口実となり、子供を産んだばかりの母が水を入れたバケツを持って何度ももはしごを登らされ、もともと心臓が弱かった母はあるとき突然病んで死んでしまった。

防空演習で普通の人が威張り出し、在郷軍人が急に権力を握り急に威張り出し、理由もなく母が怒鳴られているのを見てとても気分が悪かった。今でも愛想のいいおじさんを見て突然豹変するかもしれない。白い割烹を見ると今も気分が悪くなる。人を信じられないのも傷跡の一つだと思う。

 

ストレス下の社会においては、差別やいじめが横行する。障害者差別、朝鮮人差別は社会の中に埋め込まれていた。今に地続きである。「戦争を手段としてはいけない」としている人もいるが、戦時下にあった「不機嫌な国家」に戻してはいけないという考えかたもできるのではないか。いじめが蔓延する国家だった。現代になってようやくそれを改善しようとする社会になった。その貴重さを考えることで、どこからどこに向かってきたのかを考えることも大切なのではないか。

 

以上

 

戦時下でいじめが起きていたなら、covid19が蔓延する異常事態下の今の日本においても同じことだろう。注意深く世の中で起きていることや、自分の心情の変化を捉えてみたいと思う。

最後のまとめの中の「どこから来てどこへ向かっているのかを考えることが大切」という考え方は、胸に留めておきたい。