地域ブランドとシティプロモーション続き

昨日の続き。夕べ書いたときは半分寝ていたせいもあって、よくわかっていなかった。
地域ブランド」と「シティプロモーション」という新しい言葉に戸惑ったこともある。
要するに、市町村がある政策を執行しようとしたとき、目的と手段、そして実践がブレる問題についてのことが書かれているのだということがわかった。
売るべき商品(ないしサービス)がないのに、「わが街のブランド」を作ろうとしたり、どう考えても多くの方に必要もないものを売り出そうとしたり、需要もないのに交流人口を増やそうとしたり、維持できないのに施設を作ってしまったりすることは、市町村では必ず起こる。絶対に起こる。
理由は簡単だ。
市町村は経営者の意向が即反映される自営業ではない。社員がプロジェクトチームを作ってPDCAが回せる組織ではない。大勢の住民の皆さんの意向を反映して施策は進められるものだからだ。福祉政策と経済政策が対立することもある。どちらかが正しいこともあるが、正しいことが通るとも限らない。
成功しているように見える自治体も、影でもっと重要な政策が踏みにじられているかもしれない。 他部署が抱える課題問題を解決するための施策とときに対立するのは、よくあることだ。
それが地方自治のリアリズムだと思う。
「合意形成」の問題でもあるが、運や偶然の要素も多分にある。成功の方程式などありはしない。
しかしそれでも、「地域らしさ」を足のついた形でまとめ上げ、 目的と手段、そして実践と経営資源の調達ができ、かつ運のよかった市町村が成果をあげる。
税収減や人口減少傾向は止めることはできない。その恐れはバイアスとなって組織の石形成を縛り、住民の合意形成を妨げる。大資本の進出や撤退、有力者の存在や職員の異動、錯誤。一定の政策を長期間続けることは非常に困難である。
だから箱物に頼る。施設を作れば成果を固定できると錯覚するからだ。一度作ってしまえば、次の更新時期(40年程度)は動かすことができなくなってしまう。日本では政権与党が敗北を予感すると交付金を地方にばらまくが、それに乗って建設などを進めてしまうと5年後には維持費と保守管理の職員数不足で首が締まる。多くの市町村が今も囚われている。
昨日も書いた通り、この先20年、市町村は高齢化対策と多死社会対応に追われることになる。少しでも効率的に、しかし無機質にならない街を残していくかが問われている。
読んでいて印象に残った箇所を幾つか。
「シティプロモーションとは「地域イメージの向上」「交流人口の増加」「定住人口の増加(愛着度向上、転入者増加)」などを政策目標とした都市の売り込みと捉えることができる」
この概念は「2008年前後が全盛期。現在は玉石混交期」。
住民同士歩調と目線を合わせながら、水の流れる方向を慎重に読みながら障害物を丁寧に取り除くように、合意形成を重視しなければ実現できない。
「「地域ブランド」推進計画を策定した市町村は人口減少率が低い傾向がある。」
だから計画を作れと言い出す人がいそうな気がする(笑)。いや、そういうことではないし。
「シティプロモーションが進む一つの背景に税収の減少があると考える」
財政危機と人口減少が誰にもわかるようなはっきりとした傾向として姿を現した。危機はバイアスとなって合意形成を縛る。売るべき商品も決まっていないのに「地域ブランド」「シティプロモーション」が一人歩きしている自治体が多い。
「キャンペーンとは、商品を購入してもらうため特定した対象者に働きかける宣伝活動」
対象を絞り、継続的なアプローチをするためには、市町村行政の性質は合っていないと思う。
地域ブランドとシティプロモーションが一体に考えられない理由の一つは、縦割り行政にある」
明確な課題を把握している保健福祉部門や財務部門の意思が、まちづくりを進める部門に反映されないことはその例か。
要するに「目的のための手段が適切で、運用も実施も正確にすべきことをしている」状態を保つことが重要。地域ブランドがあってもプロモーションを誤ったり、地域ブランドが確立していないのにプロモーションに多額の予算と労力をかけているケースが目立つ。
効果が出るまでは時間がかかる。
自治体の最終目標は住民福祉の増進(地方自治法)。交流人口の押し売りは自決権の否定。
終章「ストーリーの重要性」とは、参加者の支持を得るための仕掛けである。
政治学でいう「ミランダ」「クレデンタ」の役割を果たす。それだけに、一旦できてしまうと検証されにくくなり、撤退や修正を許さない空気を作ることがあるのではないか。
「ないものねだりではなく、ある物探し」
この項については基本的にはその通りだ。だが「埋もれている資源」を探した前任者の事業を見直しもせず、人が変わるたびに「埋もれた資源」を探す行政や団体が散見される。
また、資源は「何を」見つけたかだけではなく「誰と」見つけたかも重要である。次の項の「様々な主体との協力連携」に関係があるだろう。
最後に、同署は研究所でもある以上、このようなことは書けないのかもしれないが、「何を」「どのように」するのかよりもはるかに重要なのは「誰が」それをするかだ。
身も蓋もないが、成功事例には属人的要素が多分にある。
そうした人材が発言力を持ち、中心で力を振るうことができることは、運としか言いようがない。
<事例>
小諸市の事例について
複数の公共施設を集積させることでコンパクトシティ化を図ったことが特徴だ。
公共施設再配置の効果が出るのは年数がかかる。 小諸市の成功の背景にはベクトルを保ち続けたことが重要だった(どうやったんだろう)。
<続きはまた書きます>