信州自治体学会に参加してきた

7月1日、2日と旧清内路村で行われた信州自治体学会に参加してきた。記録をアップしようとしているけれども、あまりに内容が濃く書ききれない。このまま書かずに終えるのは私の悪い癖なので、とりあえずのところでアップします。

<「人口増」施策>
人口減少による財政問題、地域の担い手の不足に危機感を持ち、多くの市町村が人口増対策に取り組んでいる。空き家情報提供だけでなく移住者に補助を出したり、村営住宅を建て、無料で貸し出す村まで現れた。しかし、どれもコストに見合った成果を挙げられずにいる。
<今年度の信州自治体学会>
 移住をテーマに長野県下伊那地方の旧清内路村で開催された。旧清内路村は近年人口増を達成しつつあり注目を集めている。
<旧清内路村の地理>
 飯田まで車で約40分。Googleマップで検索すると飯田病院まで33分と出た。
通勤圏ではあるが、飯田市街か阿智村中心部へ移住した方が通勤には便利である。通勤だけを考えるならば清内路にいない方がよいことになる。村に定着した人たちは、この距離を越える「ここにいる理由」を見つける必要があった。
 清内路村内に入ってすぐに気がついたのは、水田が全くないことだ。利水の問題だろうか。道路を通過するだけならば「山深い山村」という印象を受けるかもしれない。
<産業>
 村内に企業はほとんどない。小規模な漬物工場と商店が少しである。
 小さな畑が村内に多数点在し、自給自足的な農産品ばかりではなく、商品になる作物の栽培にも積極的である。地域に伝わる伝統野菜の種子を保存している。「あかね大根」(蕪の一種)「清内路カボチャ」などの品種を栽培し、飯田などへ販売している。
 山村では兼業が当たり前であり、農業だけで生きていく人は少ない。清内路の人々も飯田や地元の会社で働いたり、林業などとの兼業をして生計を立てている。
<若者の定住>
 若者がIターンで移住している。地域おこし協力隊の制度を利用している。「2年間何をしても良い、ただし2年後に生きていける方法を考える」というのが与えられるミッションである。時々報告など求めてフォローしている。
 地域おこし協力隊の面接には、地域の方も参加している。地域の団体、消防団に加入し、空き家を借りて住んでいる。
<自立心>
 旧清内路村は財政危機の時代に「村民自身が自分でできることをやる」という風潮が作られたという。その内の一つである「空き家の会」では、空き家の所有者などが集まって空き家対策を行っている。
 清内路の歴史はそれほど古くはないが、江戸時代にはすでに清内路村が上清内路、下清内路を含む形で成立しており、下清内路に関所が設けられている。タバコの生産で現金収入があり、人口が大幅に増えた時代がある。明治に入りタバコの専売制度が導入すると生産ができなくなったため、製糸に切り替えたが、世界大恐慌で大打撃を受ける。
外部の経済要素に頼って生業を立てようとすると、外部はリスクにもなり得ることを清内路の人々はここから学んだのだろうか。
 学会に参加してくださった数十人の清内路の人々から、「企業誘致」という言葉は聞かれなかった。私の住む下諏訪町で産業政策といえば、企業誘致のことである。多くの町民もそのことを口にする。「空き店舗対策」も名を変えた誘致施策である。しかし、清内路では住民がいかに生業を立てるか、必要な分を稼ぐのかに知恵を絞ることである。
こんなことがあった。グループでの地域の方との話し合いの時間に、廃校になった中学校の建物利用について「何か会社を誘致する話はないのか」とおたずねしたところ、少し当惑されていたのが衝撃的だった。しばらくして「今、みんなで何をしようか考えているところです。グループホーム案がありますが」とおっしゃった。
 ある方が仰っていたことが今も耳に残っている。「清内路村阿智村と合併した。阿智村は清内路や一緒に合併した浪合地区の振興を気に掛けてくれているけれど、いつか清内路は独立してやろうじゃないか」
半ば冗談、半ば本気だろう。この独立心こそがこの村の原動力なのかもしれない。

<定住するとは>
 なぜこの村に住もうと思ったのかと聞かれた若者の一人は「縁」という言葉を口にした。非常に短く表現すれば「様々な縁を感じたから」ということになる。人が住居を定めるとは、人が生きていく場を定めることであり、人生そのものの大きな決断である。
 様々なユニークな移住定住施策が散見されるが、残念ながら決定打にはなり得ない。人の人生を決める力など、行政にはない。職員個人そのものにはあるかもしれない。「人は人でしか救えない」のならば「縁は人によってしか作ることができない」のだろう。施策で何をするかよりも、地域の方とどのように縁を作れるかが鍵になるのだろうか。

<小さなコミュニティ>
 村全体で何かをしようと考えるのであれば、大きなコミュニティは不利である。平成の大合併は全国各地に都市化の悪い面をもたらしてしまっているように思う。清内路は合併後も旧村部で人が集まり、生業を助け合う人のつながりがある。
 手作り花火の活動を通してコミュニティが再生されているのは、諏訪地方の御柱祭に似ているが、御柱は大規模なイベントに各コミュニティが参加する形であることに対し、清内路では一つのコミュニティが一つの行事を実施することが違う。だから再生産された人の縁は、行事以外のライフステージでにも展開していく。