「歴史を反省する」とはなにか

自虐史観」という言葉が広まった。
小林よしのり氏による「ゴーマニズム宣言」で私はこの言葉を知った。最初に言い始めたのはだれかは知らない。産経新聞も使用するようになって久しい。
従軍慰安婦については「公式記録上は日本軍も政府も制限しつつ安全と衛生管理を行わざるを得なかった」というのが正確なところだが、「自虐史観」支持者は「軍は証拠を隠滅した」と主張している。問題は韓国では後者が信じられ、前者の意見を支持するような発言をすれば日帝支持者と看做される、と日本では思われていることだ。実際韓国でどうなのかは、日本人の殆どは知らない。私もよく知らない。伝えようとするメディアも非常に少ない。
(「公式記録にはない」vs「政府は隠している」という構造は他の問題でも見られるが、それについては別の機会に言及することとする)

現時点での私の考えを整理しておこうと思う。
朝日新聞の記者が取材し発掘してきた「歴史」を自虐史観とする見解が、最近は主流を占めつつある。(この日本の変化を韓国国民は知っているのだろうか?)
私は朝日の取材を「自虐」と決めつけるのは早計だと思う。しかし、戦争の「反省」とは具体的に再発防止策と被害者救済、和解であり、戦争被害や加害事実を発掘し過去の政権どころか現在の政権批判に利用することではない。朝日新聞はしばしばその誤りを犯し、結果国民の信用を失ってしまったのではないか、と思う。
しかしながら、だからといって朝日新聞の取材がすべてデタラメであったという事にはならない。日本が絶対正義の戦争を戦ったという事にもならない。自衛という側面が無かったわけではない。しかし、戦争と植民地化によって回復不能なダメージを双方に与えたという事実は厳然として存在する。
一例をあげれば従軍慰安婦問題である。日韓基本条約の後に朝日新聞によって発掘され、韓国で認識されるようになった。それを日韓両政府と政治団体が政治カードとして利用し始めた。日本外務省や韓国政府の努力も国民「世論」の突き上げで無効化されてしまう。もはやこの問題は永久に続くのだろう。
南京大虐殺も似たような側面を持つ。もっとも、幸いにも中国経済の成長により日本脅威論が影をひそめ、政治カード化されるリスクは減ったが。
ホロコーストはどうなのだろう。ドイツが理想化されて語られるが、ではネオナチのような勢力の台頭をどう説明するのか。よく解らない。

懸念すべきことは日本の世論が抑制が効かなくなっていることだ。
戦前、大衆の不買運動在郷軍人会のような圧力団体に屈した朝日新聞は、戦争扇動派に転じざるを得なかった歴史がある。政府が悪い、軍部は弱腰と叫ぶ調子の良い右派の扇動にのった大衆の圧力に屈したのだ。
しかし、戦後政府が悪い、軍部は隠しているという趣旨の批判を繰り返してきた朝日新聞が、そのことを理由に大衆から圧迫を受ける形になりつつある。

重要なことは、各プレイヤーはみんな大真面目でやっているということだ。ふざけてやっているわけではない。誰も全体最適を考えていないわけでもない。それだけに誰も譲らない。

こうした状況の中で、世論が冷静さを取り戻した事例というものはあるのだろうか。多大な犠牲が出てからでなければ暴走は止まらないのだろうか。
日本は終戦後、戦争の反省をあまりしてこなかった。ただ軍部が悪かったと言い続け、自らが犯した罪(マスコミや政府を突き上げた罪)を償い、再発防止策を講じようとはしなかった。
歴史は再び繰り返すのか。