韓国に争乱が絶えないのはなぜか

韓国朝鮮の歴史 (放送大学教材)

韓国朝鮮の歴史 (放送大学教材)

韓国朝鮮の歴史 #放送大学 テキストを購入し、歴史を勉強してみることにした。

三国時代以前
百済新羅高句麗三国時代より前には、檀君朝鮮から箕子朝鮮、衛氏朝鮮の3つが知られる。檀君は13世紀に編纂された神話である。10世紀契丹侵入の民族苦難の中で形成された神話であることから、テキストでは疑義が呈されている。確かにすべてを信じることは困難である。しかし、神話とはそもそもそうしたものでではないか。箕子(きし) 、衛氏とも読み仮名で変換をしても、私のMacは変換してくれない。しかし、 箕子は魏志に記録があることで確認できる点は、日本の邪馬台国と同じ。
当時は複数の有力部族による連合国家であったが、中国政権との抗争の中で有力部族が没落、官僚化していく過程がある。
日本の地方の武家が自立する過程が顕著でないようだ。少なくもテキストからは読み取れない。この違いが両国の現代社会の社会構造にどのような影響を与えているのだろう。古代に三国に統合され、日本よりも比較的大きな軍事勢力が抗争をすることが起きている。これは、中国や北方民族の侵入に備えるために政治と軍事勢力が大きくならざるを得なかったのだろう。

三国時代
三国時代は前半は対隋、唐の介入を排除し、時に利用しながら三国は抗争を続けた。
この時代の歴史を読んでいると、現代の韓国と北朝鮮の抗争に相似する部分に気づく。ソ連、現在は中国、そして米国、日本といった周辺の国家の力関係の中にあって、独立を維持するためには忙しい外交を繰り返さなければならない。
百済が滅びた外的要因がテキストに触れられている。新羅に優秀な外交家が現れ、のちに王位につき(武烈公)、唐を招き入れて百済を共同で滅ぼした。百済支配を巡って新羅は唐と対立し、地理的に不利な唐を排除して新羅は占領することに成功した。

新羅の統一
新羅の歴史は武烈公が現れる前の時代を「上代」武烈公とその子孫による「中代」、それ以降の「下代」と分ける方法がある。どの時代も対日外交は唐との関係次第であった。今の韓国はどうなのだろう。中国の脅威があるため、今は日本と友好関係を保つが、元々韓国にとって隣国とは周辺国であり、自国を包囲する脅威であった時代の方が長かったのだ。

例えば渤海との抗争も中国の要請によるものが発端だった。北方の弱小民族に影響力を行使する当時の朝鮮半島政権は、黒水部の台頭と抗争に加わることで国際紛争に巻き込まれていく。

新羅は8C後半に貴族反乱で王が殺され、武烈公王統が絶える。9C後半には農民や百済高句麗の王統を名乗る人々が中心となった反乱の中から、後高句麗後百済が成立。後三国時代が始まる。しかしそれまでは新羅による統一政権が続いたことから、中央集権化が進む機会はあっただろう。中国との抗争はより軍備増強のためには軍事的優位にある中国の官僚機構を輸入せざるを得なかった。国内的抗争より対外的脅威に備えるためには中央集権化の方がよいのだろう。

つづく(かもしれない)