アメリカの歴史と文化 第8章

ハワイ王朝は1893年に崩壊した。

その崩壊は米西戦争と関係がある。1810年に統一されたハワイ王国は、当初捕鯨船の補給基地であった。入植した白人達が政権に参加し始め、憲法をつくって土地の私有制を認めさせるとサトウキビ農園の経営で財を成す白人が増えた。アメリカ南部出身議員により農産物への関税導入が検討され始めると、ハワイの白人達は互恵条約を結んでハワイと米国の間での関税をかけない取り決めを結んだ。この際、ハワイが他の国と動揺の条約を結ばない条項を盛り込んだため、ハワイは米国に依存する経済となっていった。

(本論とは異なるが、このころ日系移民が急増する。)

最後の女王となるリリウオカラーニは、西洋式の教育を受けて育った。白人達に強要された憲法を廃止して独自の憲法を制定しようと準備に取りかかったところ、白人住民による「安全委員会」は、当時の米国の大使と結託して米国政府の許可を得ないまま軍人を上陸させ、新政府樹立を宣言した。

米国本国は米国大統領選の影響で王朝に好意的になった時期もあった。(安全委員会の行動を不正として大使を更迭)しかし、選挙で再び共和党に政権が戻ると、状況は悪化した。スペインとの戦争に勝った米国は、フィリピンなどの海外領土を獲得した。その維持のために基地が必要だった事と、有色人種の土地を植民地にする事に抵抗が薄れたことの2点がハワイ併合に米国本国が傾いた最大の要因である。

理性的な国民を教育で育成しても、国際情勢の変化で意見が変わることは歴史上ままある事である。

アメリカの歴史と文化 (放送大学教材)

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