「自分でなくても良かった」という問いへの答

「自分は取り替え可能な部品なのか」という問いに苦しめられたことがある。

「自分でなくても良かったんじゃないか」
「他の人でも良かったんだよね」

自我意識がバランス良く育たなかったのだろうか。

大人になって、意外にも他にも同じ思いをしていた人が沢山いたことに気づいた。

今の子どもや若い人たちにも、同じ思いを持っている人がいるのだろうか。

今ではこう考えている。
もちろん他の人でも出来たし、私でなくても良かった。
それをもって「取り替え可能」「誰でも良かった」と言えるのだろうか。

確かに他の人でも出来たことかもしれない。
しかし、そのとき、そこにいたのはあなたであって、他の誰でもなかった。
それこそがあなたの価値なのだ。そこに私は存在することが出来なかったし、あなたと同じ考えを持ったかは、今になってはわからない。

これらの問いは常に過去形だ。過去のことは何とでも言えるのだ。

時と場所の位相を否定するなら、私たちの存在そのものを疑わなければならなくなる。

http://anond.hatelabo.jp/20140711011233