過去、この件について記事にしたことがあるが、もう一度まとめてみる。
「住民参画による行政」「協働によるまちづくり」などといわれて久しい。今日からはじまった「裁判員制度」は、「住民参画による司法」のことだ。おそらく、前2者と同じような失敗例が続出すると思われる。
一般の素人が参画するまちづくりにおいては、コーディネーターの存在とその資質が明暗を分ける。同じプロセスで同じ事業を行っても、結果が全く異なることがある。司法においてもこれは言えることだ。
だがちょっと待ってほしい。結果が全く異なることがあるのでは困るではないか。
裁判員の選任過程で介護や育児でやむを得ない事情のある人は外されるのだそうだ。だが、まちづくりの中では、こういう方こそが貴重かつ地に足のついた意見を言ったりする。一方で、裁判そのものに素人意見を持っていて、一言モノ
申してやろう、と言うような人がいたとすると、このケースは失敗する。
・・・ということを、司法は研究しているのだろうか。していないんだろうな。そのうち結果に批判でも出たら誰の責任にするのだろう。