観光振興がなぜ「まちづくり」の中心になってしまうのか

下諏訪町で「まちづくり」というと、なぜ観光振興になってしまうのかずっと不思議に思っていた。近年はこれが「移住定住」に置き換わりつつあるが、基本的なことは何も変わっていない。
行政が投じた莫大な税金は、ほとんど経済効果がなかった。にもかかわらず、多くの町民がそれを期待している。
選挙や各地の集会などの場で「観光振興についてのわたしの考え」を述べる人が後を絶たない。
私はここで観光行政を否定したいわけではない。観光業は商業、サービス業と形態は似ているが、付加価値をつけることができるため高値で取引することができるという特徴を持つ。
しかし、この10年間下諏訪町行政が行ってきた施策は、その他の福祉や教育施策の必要性に比べて高かったとはとても言えない。
この10年の間、諏訪地方、とりわけ岡谷市下諏訪町においては急速に高齢化が進み、既存の産業が介護に置き換わった。そしてここ数年は高齢者の減少がいよいよ始まり、信州の山村で起きていることが下諏訪町でも起きつつある。これらの状況は20年ほど前から予想されていたことだが、その間町行政は主として観光施設の建設やスポーツ施設の新規建設に多額の予算を投じてきた。
 
現実を見つめてみれば、下諏訪町の抱える課題の一つは家屋の相続問題である。都市計画に関わる分野だ。新たな住宅地の造成ではなく、既存の住宅地で空き家が多い地域にメスを入れる必要があったが、何故かこの分野にはほとんど資金が投じられなかった。全国にはランドバンクのような先進的な取り組みがあるにもかかわらず、空き家バンク程度のボランティアに地域おこし協力隊が従事しているにすぎない。いまだに町民の多くは自分の後に自分の家をどのような手続きでどのように処分したら良いのかすら分からずにいる。このハードルをクリアすることが空き家問題の第一歩なのだが、雰囲気とノリで前に進めると思っていたのだろうか。
 
また、この町の問題として貧困問題がある。経済成長期に人口流入を経験した地域の例に漏れず、地域に資本基盤と政治的な権力を持つ旧住民と、新住民の間には経済的な格差が存在する。全国的にもコロナの前から子供の7人に1人が貧困であると言われており、下諏訪町においてはもう少し状況が悪い中で、なぜこれらを改善するための政策が採用されなかったのだろう。
生理用品の学校における配布を一蹴した前政権、現政権とも、子どもの貧困に向き合う気はないようだ。児童相談や保健への予算を切り詰め、大型公共建築に予算を割いてきた。議会では予算案に反対意見や疑問が絶えず出されていたが、それが町内で話題になることはなかった。結果として、毎回同じような選挙結果であり、大きな軌道修正されることもなかった。
 
下諏訪町には多くの観光資源がある。それは暮らしていく上では面白いものだが、行政に税金と労力を使わせる種となってしまっている。どれもB、C級の観光資源ばかりなので、投資してもリターンはないが、そのことを冷静に見極める力がある人はこの町の合意形成に参与させてもらえない。
「観光資源」がこの町の長所であるかのように言われているが、その長所によって衰退していくのではないか。そんなことを最近考えている。