地域社会の国際化

この問題を耳にするたびに、大学の頃の「社会調査」の講義を思い出す。私の大学には「社会調査」という実習付きの講義があり、いくつかのテーマを選択することができたが、私が外国籍住民のみなさんにインタビューして回るという講義を選択した。丁度留学から帰って来た直後だったから、自然にそんな流れになった。

「国際化」は二つの側面がある。日本人が海外に出ることによる異文化との接触によるものと、外国籍住民が日本の地域で生活することによる異文化接触によるものだ。欧米へ出かけていくことだけが「国際化」だった牧歌的な古き良き?時代は終わって久しい。

地域の外国人を分析するために、講学上は彼らが日本に来た時期によって「オールドカマー」と「ニューカマー」の2つに分けられる。前者は戦前戦後、後者は80年代後半から経済成長後に来た方だ。現在住んでいる目的が異なることが多い。

オールドカマーの代表格は在日朝鮮・韓国人のみなさんだ。中国・台湾籍も多い。植民地時代日本と国境がなくなったため、働きに来てそのまま帰らなかった、あるいは帰れなかった方々が多い。朝鮮と韓国を合わせて「在日コリアン」と呼んだりする。

大学の授業は、在日コリアンの皆さんのご協力を得て生活実態調査を行うものだった。受講者の学生で手分けしてサンプリングしたお宅に訪問し、あれこれとインタビューとヒアリングをするというものだった。実態はイメージとは全く異なり、本当におもしろかった。

 その調査で私がインタビューしたのは7,8名くらいだった。結論から言えば、「在日外国人」と一口で言っても、千差万別だったということ。しかし、母国の政情や日本との関係の影響が生活の外的要因となっていて、なかなかにハードな暮らしの方もいた。
 
 パチンコ店や焼肉店、革製品加工を経営するいかにもな方もいたが、そのほかは普通のサラリーマンだった。母国にアイデンティティを置いている方もいれば、墓参りと親戚づきあいのために国籍を変えないだけ、という方もいた。1人は完璧に「韓国人」で日本語が出来なかった。

1世、2世、3世と、世代を経るにつれ「日本人化する」と私は思いこんでいたが、そうではなかった。3世で先祖返りする方もいれば、1世なのに「俺は日本人だ」と言い、韓国について橋下氏が言うようなことを、放送禁止用語つきでお話しされたされた方もいた(これにはたまげた)。

 対象者の方々に「なぜ帰国しないのか」という疑問をぶつけるのは奇異な感じを受けた。そこで角度を変え「帰ろうと思ったことはないか」と聞いた。結果は予想通り。完璧に韓国人の方は「来週帰る予定」と言い、経営者は「会社と従業員をどうするの」と言った。サラリーマンは「帰っても仕事がない」と言った。


完璧な日本人の方は「帰ればいい」なんて言われても「帰るってどこへ?」ときょとんとしていた。失業したときに親戚を頼って韓国へ渡ろうとしたことがあったが(「帰る」とは言わなかった)「子どもの学校はどうする気だ」と妻に反対されたと言った。

在日コリアン」と一言で言っても一枚岩ではない。経済状況、家族構成、職業、出身、母国への感情など様々だ。接してきた日本社会の構成員たちの影響もあったようだ。だから「在日外国人」などと一言でまとめるのは短絡的だ。日本人だって「日本人は何々だ」などと一概には言えない。同じことなのだ。

経済のグローバル化により、地域社会にも国際化の波が押し寄せている。外国籍住民はもはや珍しい存在ではない。住民が中国などの新興国へ長期出張に出るケースも多くなってきた。異文化との接触はメディアを通してだけではなく、私たちの身近な存在である。

 軽い気持ちで「郷に入れば郷に従え」と口にする人がいる。しかし、こうも国際化が身近になった昨今、その価値観を変えるときが来ているのではないか。自分への戒めの言葉として口にするならともかく、他人に強要することはやめた方がいい。「郷に入れば〜」は世界共通語ではないのだから。

この調査事業に携わって思ったことがある。「グローバル化」とか「国際化」というのは、多様な価値観を受け入れることであり、時にはおもしろいこともあるけれど、我慢を強いられたりすることもある。簡単に言えば寛容になるよう、自己訓練することが一層必要な社会になる、ということだ。

地域に住む外国人の実情に近い形に法制度が改正されつつあるが、今なお課題は残っている。法令が改正されてもどのように浸透させるかが問題である。「外国人は得をしている」とした思い違いが流布している。いずれの問題も外国籍住民の生活に影を落としている。

講義の最後のまとめに、ヒアリング対象者の絞り込みに絶大なご協力を頂いた在日コリアンの方のお宅へみんなでおじゃました。焼き肉店を営むその方はご家族とお仲間を連れて来て下さった。しかもものすごく美味しい焼き肉(あれ以上の焼き肉は今に至まで食べた事が無い)をふるまってくださった。

席上、講師から「在日コリアンとしての困難は「昔程ではない」というけれど、それでも困難はあるとして、その困難をむしろアイデンティティにできないか」と提言があった。社会への積極性を盛り込む提案的なことをしようと考えたようだが、当事者達は「う〜ん。先生の言いようは解るんだけど」と言葉を濁していた。

当時私の大学の社会学部では、日系ブラジル人社会の研究が盛んになされていた。群馬県大泉町の全盛期で、在日日系ブラジル人のみなさんがお祭りを開催するなど、「外国籍をアイデンティティに」という考え方の可能性に光が見えていた。先生のご提言はその方向性を韓国朝鮮籍のみなさんはどう考えるのか聞いてみたのだろう。

私はと言えば、この席では殆どお話ができなかった。というのも、同席していたこのご家族のお嬢様がとてもかわいらしく、超ストライクど真ん中だったため、ちょっとでも良いからお話ししたい、できれば連絡先を教えてほしい。。。などと不埒な事を考えていた。考えていたら何も話せないままあっというまに帰る時間になってしまった。がっかり。

今、この研究はどんな方向に進んでいるのだろう。在日コリアンのみなさんに、光は見えているのだろうか。