アメリカの歴史と文化(60年代)

アメリカの歴史と文化 (放送大学教材)

アメリカの歴史と文化 (放送大学教材)

第12章 シクスティーズ
 戦後アメリカ社会は急速に消費社会化が拡大した。
 個人消費については、自動車登録台数は45年に2580万台、1970年には8930万台に激増している。住宅建設も拡大し、政府も施策で後押しした。スラムクリアランスが試みられ、郊外ベッドタウンが形成された。持ち家率が40年43.6%から50年に55%に増加した。
 公共事業も活発に行われた。この時期は社会インフラへの投資が目立つ。アイゼンハワー大統領の高速道路法により6万6千キロの高速網整備が始まった。
 産業界についてこの時期の特徴は2つある。大企業による独占化が進んだ。GMIBMエクソンなどの経済効率を極限まで追求しコングロマリット化(企業複合体)が進んだ。ソ連との対立が軍事産業の台頭を誘発し、成長した軍産複合体の政治への影響力行使が問題になったのもこの頃である(アイゼンハワー退任演説)。
 工業界では機械化、オートメーション化が進んだ。一定数がホワイトカラーとして中産階級を形成するようになり、画一的なアメリカの家族のイメージが浸透する。(持ち家と車、子ども2人、日曜教会と男女の性規範、愛国心
 政治上の「画一性」は、排他的な政治運動を生んだ。17年代のソビエト革命の際にも見られた反共主義が、ソ連との対立により再び台頭した。上院議員ジョセフ・マッカーシーウェストバージニア州で行った演説は反共主義を拡大させ、その潮流はマッカーシズムとして知られるようになる。
マッカーシーと「非米活動委員会」は曖昧な証拠と虚偽に拠って「赤狩り」を行った。標的が大統領府や陸軍に及んで初めて非難決議がなされたが、それまでに大勢の人が公職を追われ、いわれなき弾圧を受けた。
 画一性への反動は、アレン・キンズバーグ、ジャック・ケアルックらの作家や詩人による「ビート世代」(言葉や表現上の自由奔放さを追求)、黒人達の文化とされていたジャズをあえて好む白人達「ヒプスター」(黒人達を逸脱者とみなして共感する)などの潮流が生まれた。この時代の申し子としてはエルヴィス・プレスリーと彼への社会の反発が上げられる。
 社会運動としては、公民権運動が盛んになる。黒人達による組織化が進み、運動が大規模化した。マルコム・Xは、イスラーム組織である「ネーションオブイスラーム」によって、ナショナリズム的要素を持つ運動を展開した。当初は各地で成果を挙げた運動だったが、暴力的になっていく活動に対して公民権運動に共感していた白人達の間にも反発が高まっていく。
「ブラックパワー」とは、南部の活動家ストークリー・カーマイケルが、黒人達が権力を獲得することの必要性を説いた際に使用した言葉だが、運動期中期から黒人の意識変革という側面を帯びて来た。抑圧されたマイノリティをアイデンティティとした人種集団としての黒人観が重視された。当時の黒人達は「ブラックイズビューティフル」という言葉をしばしば口にしたが、押し付けられた否定的なイメージを公民権運動などを通して得た自身と自覚に拠って変革しようとする動きがあった。

戦争をともに戦った女性や黒人は、帰国後のいわれなき差別の中で抵抗することを始めた。運動と社会混乱の過程は、アメリカが新しい社会を模索していた時代と言えると考えられる。画一性を重視した戦前の価値観をひきずったマッカーシズムに反旗を翻し、奴隷解放によって平等になったはずの黒人を虐げる法制度と戦おうとする社会は、今日の多様性をもつアメリカ社会の原点となったのではないか。