アメリカの歴史と文化 第9章

アメリカの歴史と文化 (放送大学教材)

アメリカの歴史と文化 (放送大学教材)


第8章のフロンティア精神とアメリカらしさについては、しばしば耳にする言葉だ。だが、私はうまく理解出来ない。何故開拓を進めると自主独立の精神が産まれるのか。ロシアはシベリア開発を行ったが、何故アメリカと同じにならなかったのか。他にも多くの要因があると考えるべきだ。

第9章ではアメリカが何故先進国となったか、その最初の契機となる産業化の過程について解説されている。

アメリカでは南北戦争後資本主義的商工業が発達する。1890年代にはイギリスを鉄鋼生産で追い抜く。国境の無い大陸は人と物の交易が自由であり、そこに人が集住すれば物資の重要が産まれる。

たとえば鉄道の敷設が資材や労働力の需要を産んだ。石炭、石油といった新しい資源を算出したアメリカが産業化するのは必然と言えた。そして大量の需要が技術革新を産んだ。エジソンはこの時代の人だ。 特に大量生産への対応は生産技術の革新をもたらした。

この時代のアメリカの産業政策の代表的なものは高関税による産業保護と金本位制によるドルの国際収支決算機能強化である。1849年に金鉱がカリフォルニアで発見されると、西部への移住が激増した。

都市人口が拡大し、1920年には農村人口を上回った。1860年には100万都市はニューヨークのみだったが、1920年にはボストン、フィラデルフィアピッツバーグデトロイト、シカゴ、セントルイスに増えた。

マーク・トゥエインが「金ぴか時代」と呼んだ時代であり、鉄鋼王のカーネギー、石油王のロックフェラー、鉄道王のヴァンダービルトなどはこの時代の人である。ニューヨーク5番街の50番地には百万長者街が立ち並び、ソースティン・ウェブレン(社会学)が「見せびらかしの消費」と呼ぶ消費が見られた。アメリカが開拓期から次の時代に進んだ証である。

1880年代以降には「新移民」と呼ばれる東欧、南欧出身の移民が激増した。民族ごとに集まって住み、「テネメント」という賃貸安アパートに大勢で住んだ。低賃金長時間労働に耐えた。民主党は彼ら新移民の世話をし、市民にしては票を集めた。これをボス政治と呼んだ。

しかし、新移民は貧困だったわけではない。しかし、慣れない習俗と言語が通じない事から、新たな貧困問題を持ち込まれた、と解釈された。

この時期、労働者団体が立ち上がる。ブルマン社では大規模なストライキが起きたが、大統領によって軍が鎮圧した。アメリカで労働者団体や社会主義が振るわなかったのは政府が資本家を擁護した事も一つの原因である。

農村は自立を失い、農産物価格に翻弄される存在となった。農村は農民連合や共済組合を立ち上げて政府に要求をするようになった。農村を支持基盤とした人民党が結成され、1892と1896の大統領選に影響力を発揮した。選挙では敗北したが、その後の反移民ネイティヴィズムの温床となった。

19世紀半ばから ホワイトカラーやプロフェッショナルとしての 中間層が成長した。
教育水準は高く、都市的居住スタイルを取ったが、価値観は農村的だった。信仰を基礎とした道徳心、夫が働き妻が家庭を分担し、勤勉と利他性、責任を重視した。個人が自らを律する事で、社会をも律する事ができると信じていた。

伝統的なカルヴィニズムに反する資本家は批判され、暴露メディアが成長した。キリスト教会を中心に弱者救済が行われ、主に女性により担われたセツルメント運動は全国に400ものセツルメントハウスを設立し、新移民のアメリカへの適応を助けた。社会福祉ソーシャルワーカー成立の背景はこのようなものであった。

この時代を革新主義時代と呼ぶ。女性の権利拡大についてみれば寛容な社会と言えなくもないが、カルヴィニズムを基礎とする偏狭な価値観に拠っている。禁酒法の成立はプロテスタントキリスト教的な徳目を背景とした。はじめは禁酒運動として姿を現した。

禁酒運動は、当時醸造業の多くを占めた第一次世界大戦の敵国ドイツ出身者や移民労働者を具体的な敵として展開し、ネイティヴィズムと結びつく事で法制化するに至った。女性の参政権成立も保守的な女性層を説得するために移民教化を理論的根拠とする事で成功した。

女性が参政権を持つ事で、女性の様々な価値観からの超越性が否定され、却って政治力を失う結果となった。女性を家庭の守護者としてきた伝統的な価値観は失われ、アメリカは20世紀を迎える事になる。