格差とはなにか

格差社会と新自由主義 (放送大学教材)

格差社会と新自由主義 (放送大学教材)

放送大学 「格差社会新自由主義
第5章 所得と格差基準

格差とは何か。そのことを吟味せず、単に「格差拡大が深刻だ」という意見が横行している。言葉の定義を曖昧にして議論を進めるのは日本社会の悪弊である。
第5章ではその危険性についての指摘がなされている。そもそも格「差」とはなんだろうか、あるいは何故生じているのかを究明するためには、次の事が必要だと指摘している。

>>「差」が何によって測られ、その「差」がどのくらい存在し、どの程度の「差」であれば正しいといえるのか、ということを知る必要がある。<<

以下、同章をまとめてみる。

様々な格差
最近日本で話題になっている「格差」とは、所得格差の事である。所得以外にも格差はある(資産、教育、消費、賃金、地域、年齢、男女など)。しかし、所得以外の「格差」は数値で計測することが困難なため、所得が指標として用いられる。
我が国では1980年代以降、格差拡大の傾向が見られるが、20世紀末頃から人口に膾炙するようになった。

統計
厚生労働省所得再分配調査」や、「家計調査」「全国消費実態調査」の統計数値とも比較すると、所得格差拡大が見て取れる。

ジニ係数とは
0〜1で表される所得格差の指標。0が所得格差無し。ただし、ジニ係数が高い数値を示したからと言って社会問題として申告かどうかは別の問題。年10億の所得がある者が98人、1兆の所得のある者が2人とした場合、ジニ係数は高い数値を示すが、低い方の所得者が10億でも相当多い事から問題とはならない。
また、ジニ係数はどの程度を正当とするかを表さない。

所得格差の原因
当初は経済的要因と思われていたが、高齢化要因を挙げる説が最近は主流である。
(1)高齢者の所得格差
高齢者はそもそも所得格差が高い。年金以外の収入を持つ者、年金所得の差、無年金者の存在がその背景である。特に高齢者の有職者、無職者の差が大きい。
この高齢者の比率が高まる事によって、国民全体の所得格差が拡大していると見る事が出来る。
(2)若年層と高齢社会
社会の高齢化が進むと若年層の就職が困難になり、ワーキングプア問題などが深刻化する。
(3)経済的要因
生産性の高い産業と低い産業の格差が賃金格差に反映され、所得格差が増大する。

高齢者の所得格差
高齢者の中では有職者、無職者の差が大きい。また、単純な収入面だけでなく、財産蓄積が進まなかった上に低年金である層と、財産蓄積がされて年金が高い層の所得格差が大きい。

格差の基準
アリストテレス「二コマコス倫理学」の中に、配分が平等か不平等かをテーマとした部分がある。分け前に一定の平等感があり、社会の状態が正当である状態を正義とするならば、その正義を実現する方法として「配分的正義」「矯正的正義」の二つを挙げている。
「配分的正義」
正義を実現するのは配分であるとする考え方。
 価値は人によって異なる。民主主義者は自由人であること、独裁、寡頭制主義者は富をもつことが規準になる。しかし、いずれの立場であっても、配分は比例的に決まることが望ましいとする考え方が共通している。
「分配は何らかの価値に基づき、比例的に決まる」ことが望ましい(比例性)。問題は価値規準が一般に認められているかどうかだ。
「矯正的正義」
最終的結果が正義であるとする考え方。
しかし、どのような状態が正義であると考えるかが重要であり、判断の規準と判断する主体が問題となる。結果平等(均等性)こそが正義であるとする考え方をとるか、比例的な状態が正義であるとする考え方をとるかで様相は大きく異なる。

「貢献原則」「必要原則」
 貢献原則とは功績あるいは貢献によって比例的に配分されるべきだとする考え方であり、必要原則とは矯正的正義において人々の需要を規準とするならば(「必要」を規準にするならば)必要原則ということになる。
 前者の功績主義的考え方は、一時日本の企業でも盛んに導入されたが、能力主義支配(メリトクラシー)以外の規準を排除する傾向が生じ易く、成果に結びつかない(功績に表れない)貢献は評価されないなどの問題点を持つ。採用された指標で測る事が出来なかった功績が評価されない事で、不平等が拡大する可能性がある。また、病人や退職者など、貢献出来ない人々を排除する事になる。
 後者の必要原則は、健康保険などが一例である。究極的には労働の成果を必要に応じて分配される共産主義である。「必要」の判定が困難であり、均等に分配しても必要度の差異があれば不平等である。しかし、必要原則を強調すると、生産に貢献しない人を際限なく対象にしなければならない。

「必要」とは何か
 「最低限の生活を営む権利」は必要原則の考え方である。ナショナルミニマムシビルミニマムなどの公正の規準はどこにあるのか、あるいは利用する権利はどのようにして規定されるのか。ロールズは「格差原理」の中で権利を理論づけた。

M.ウォルツァーの「共同の用意(communal provision)」は、安全、治安、衛生、医療、教育、食糧については必要最小限(ミニマム)の必要が存在するとした。どのように配分しても必要を満たす事は出来ないが、かといって個々人の自由に任せる事も出来ない公共的な要素をもったものがある。配給側に恣意が働くとうまく行かない。
一つの解決策として「複合的平等」を提案している。ひとつの分野で優越した者は、田の分野で抑制する事で独占や専制を防ぐ事が出来る。

経済学者センは、潜在的必要や新たに創り出される必要は、必要度の規準はあっても前もって画定出来ないとした。また、個人的な欲求は社会的欲望との兼ね合いでつくられるとした。