イギリス型<豊かさ>の真実 林信吾

 「年収が低くても安心して暮らせる「福祉国家」の実情」という文字が帯にでかでかと踊っており、気になって買ってみた。

 医療制度改革などがやかましい昨今だが、「どのような社会で生きるべきなのか」を議論すべきだ、というのが筆者の主張らしい。それはまあ、その通りだと思う。しかし、この議論はとても難しい。「私とは何なのだろうか」といい哲学的、形而上学的命題について日本国民全員が議論に加われるはずも無い。
 その議論のための指標として、海外との比較がしばしば我が国では行われる。その中で、イギリスを紹介したこの本は、簡単に読めてよいと思う。

 イギリスでは医療は保健省の管轄。NHSというNHKみたいな名前の組織が政府の医療チェーンを作っており、そこでの医療はかなりの範囲で無料なのだそうだ。例外として歯科医療は日本とほぼ似たような診療費がかかり、自己負担でさらに高レベルな医療も受けられるようになるらしい。
 財源としては消費税が使われているとの事。EUが関税障壁を撤廃してしまったので、替わる財源として付加価値税が引き上げられたそうだ。

 一つ気になったのが、筆者は日本の医療制度を研究しているようだが、若干誤解がある。日本でも子どもの医療費は限りなく無料に近い。多くの市町村で福祉医療費の制度が普及しており、6歳ないし9歳までの子どもの医療費は後日、わずかな自己負担手数料を除いてほとんどの費用が還付される。還付財源は市町村であったり、県であったりするし、難病などは国費負担だ。募金を募っているのは、臓器移植など国内で出来ない診療か、保険外診療を行うためだ。

 著者は日本の保険料が高いと断じ、このような制度を思いついた人は人間でないと批判している。では、日本ほど高齢化が進んで、若者がそれを支えるために子育ても犠牲にして働き続けると言う、硬直化してしまった社会を維持するのに、イギリスと同様の方法が可能なのだろうか。この本の中では、イギリスの若者向けの失業対策が紹介されているが、考える良いヒントになると思う。日本の国民健康保険の死角について著者の経験をもとにいくつかの指摘があった。前年の所得に基づいて決める保険料、ないし保険税制度は、病気なりリストラなりで仕事を辞めた人に非常に冷たい制度となっている。というか、この制度の致命的な欠陥なのだが、何故誰も騒がないのだろう。後期高齢者医療制度についてわめき散らす前に、今の制度の欠陥を指摘すべきではないか。現在の医療保険制度をめぐる議論で最もおかしいのは、議論に参加している国民の多くが、制度の全貌を理解していない事である。理解できないような複雑怪奇な制度を国は変えるつもりだが、どうやって国民は監視するつもりなのだろう。

 イギリス人の消費税などの社会負担への考え方については著者の独自の見解が各所で述べられている。所得に対してかかる税金は日本とほぼ同レベルなのだそうだ。低所得者層について、日本には非課税措置があるがイギリスではどうなのだろう。消費税がそんなに高ければ、低所得者層への配慮が無い、という問題になると思うが、そのような批判は無いのか気になるところだが、

NHSが導入された由来を終戦後の統制経済に遡っている。労働党アトリー政権が制度化する。二大政党制の駆け引きの中で育ってきたことも興味深い。このあたりは今の我が国の状況に照らしてとても感心した。我が国のように現行の保険制度を「悪いもの」と宣伝し、頭から否定する野党と事実誤認のテレビに叩かれただけで「廃止」を口にする与党の駆け引きでは、医療制度は崩壊するばかりだと思う。著者は、コスト増大を失政であるとしながらも、医療技術の進歩がこれを招いた事を指摘している。よくよく考えれば、こんな当たり前の事を言っている新聞やテレビ報道を聞いた事があまり無い気がする。ただただ、高齢者医療と若者の保険料負担の問題を政争の具にする、今の与野党に熱心に協力し続ける日本のマスコミはどこまで駄目なんだろう。社会の木鐸が聞いて呆れる。


 ただ、所得と消費、生活水準は日本と大きく異なるようだ。何が安くて何が高いかが国によって異なるが、イギリスとも大きく異なり、従って単純比較は出来ないという事だ。住宅と新車に大学教員でも手が出ないそうだ。これはもしかすると、日本の方が異常なのかもしれない。



イギリス型<豊かさ>の真実 (講談社現代新書)

イギリス型<豊かさ>の真実 (講談社現代新書)