政教一致なのか

イスラーム社会は政教一致である」という考え方に、「分離である」とする立場から解説をしている。カリフはアラーの教えを執行する権限を持つだけであり、教えを帰る事は出来ない、とするものである。
そのような委任関係である事自体が宗教の政治への関与を排する事を難しくしているのではないか、と思うのだが著者は「政教一致という考え方は誤りである」としている。「片面的である」とすることはできるが、誤りではないだろう。行政官がアラーの教えを執行する時点で、すでに政教一致なのだから。たとえば江戸幕府が仏の教えを執行しただろうか?もし著者のこの表現が正しいのであれば、イスラームはやはり特殊なのである。

 しかし、イスラーム社会の現実がもっと複雑なことは容易に想像出来る。その観点から「政教一致」という考え方はやはり誤りだと思う。
 社会の成員は現体制の維持によって利益を得ている。成員は社会のあり方、構造から道徳的な満足感を得てもいる。成員の大半が保守的なのは、そうした理由である。もちろん、イスラームによって秩序が出来た社会において、人々がその秩序を重んじようとするだろう。それは当たり前の事である。
 そしてもし、イスラームの教えが社会の運営にあまりに不都合が起きたとき、人々はそっと、あるいは大騒ぎしながら現実と折れ合う場所を探すために、その教義を変えるだろう。
(この事を理解するためには、歴史的な背景ばかりではなく、信仰心についてより深く考察してみる必要があるかもしれない)