伝承と個

芸術・文化・社会 (放送大学教材)

芸術・文化・社会 (放送大学教材)

第10章 伝統音楽における変化

日本の伝統音楽は、授業の中では限られた量しか扱われないため、芸術が変化するものである事を知ることができない。この章では「伝承」がどのように「変化」してきたか、変化がどのように起きてきたのかについてが、尺八の伝統の伝承などを事例に挙げて解説がなされている。

「伝統」とは、は英語ではtraditionに対応する言葉だ。ラテン語名詞のtraditio 動詞tradereが元である。元々は「手渡す」の意味。転じて「譲る」「伝える」と意味が変わった。

日本では古い時代に成立した芸術が、新しい芸術と併存して伝承されていることにより、新旧の芸術が交替する事があまりなかった。従って、伝統は変化するものと理解されているが、西洋では必ずしもそうではない。アメリカの民族音楽学者ティモシー・ライスによる民族音楽研究のモデルによれば、「歴史的構築」「個人の創作と経験」「社会的維持」の相互作用によって社会的に維持されていく。従って、当然変化するものなのだ。

変化には、大きく分けると二つある。
「内発的変化」・・・声の高低や大小など、身体的条件は個人の内部での変化を引き起こす。その個人に新しいものを刺激を聞き取る感覚があれば、それらを加える事で変化を起こす事もある。
「文化触変」・・・異なる強い文化が入ってくると影響を受けた側が新しい変化を生む。18世紀以後の日本の伝統は、多くは西洋音楽などの影響を受けて変化してきた。


ところで、今日はここから脱線。
文化の伝承と言えば「ミーム論」である。
社会の文化伝承、変化を説明するために、「社会的遺伝子」が存在すると仮定して、それらの伝承や変化を説明しようとする手法・・と勝手に私は理解している。
私達人間個人は社会的遺伝子をいれる「入れ物」であり、入れ物が活動する過程で社会的遺伝子を複製して伝播して行くことになる。複製する際に「入れ物」独自の経験なりなんなりが遺伝子に影響を与え、外的変化や内的変化を起こさせながら、次の世代、あるいは他の地域に伝播させて行くと言う考え方である。

「私とは何者なのか?」と言う問いに対して、これは一つの解を与えているかのように見える。「私」とは、過去から将来へ文化を伝播させて行く「装置」であると考えられる。「伝播」こそが私達の生きる目的なのだと解釈してしまいそうだ。

しかし、それは違うだろう。

社会的な役割をもって、個を定義する事はできない。個を定義するに充分でない、と言うべきか。
高校に入って先輩に言われた事で今も記憶に残っている事がある。

「で、お前はどう思ってんの?」

背伸びしすぎて天狗になり、批評や他人の意見の紹介機のようになっていた私は、とてもショックを受けた。社会的役割、社会的需要に応じられる自分、そうしたものより大切なのは、「私自身の意志」であるということだ。


・・・・と、真面目な話の風呂敷を広げておいて、おふざけの様で真面目な関係記事があったので張っておく。

シンケンジャー」で実存主義を学ぶ ー 俺の邪悪なメモ
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100210/p1