財政破綻はどんな姿で現れるのか

ふと思ったこと。

私が物心ついた時には、既に日本の政府債務が天文学的数値になっていた。拡大を止めようとする動きは何度もあったが、「今緊縮財政をやったらこの国は破綻する」という自称政治家や自称経済評論家に足を引っ張られ、国家債務の圧縮は政治家の誰一人として成功していない。

それどころか、より下の世代の財産を目当てに債務を増や続けている。国民の多くもその政府を支持して来た。色々な言い訳をしながら。

地方政府の債務は国からのバラマキを利用する事で圧縮されている所が多い。もちろん、これは結局は同じ事だ。未だに国からの特定予算を器用に利用して、地方政府の事業に使ってしまう役人を好意的に見る人が多いのには本当に閉口させられる。

「このまま進行すれば破局的な財政破綻がやってくる」と誰もが思っている。しかし、どのような形で「破綻」がやってくるのか、誰も明確に説明していない。従って、一体何を予兆として捉えれば良いのか解らないため、「本当は大丈夫なんじゃないか?」という期待的観測がまだこの国に充満しているように思う。

「日銀が通貨発行を渋っているせいだ」「日本の政府債務は国内で相殺されるから大丈夫だ」などという珍説が流行するのもそのためだろう。この珍説を聞いていると私はあるものを思い出す。衰退した商店街の空き店舗に、突然現れる似非布団商売やカルト、怪しげな健康食品のお店だ。

珍説を信じる人たちと、こうした怪しげな商売の客になる人には共通する所がある。上述の期待的な観測を信じている事だ。どこかに簡単な解決法があると信じたくなる気持ちは解らないでも無い。まだこの社会に実力が残っていると思いたい気持ちも、共感出来ないわけでもない。

しかし事実でないことの虜囚には、解決への道は示されない。もちろんそのことを彼らも知らないわけではない。無知でも馬鹿でもなく、会ってみれば優秀な人も多い。

彼らに気づいてもらうために、一体何をすれば良いのだろう。

破局的な財政破綻とは一体どんな姿をして私達の前に姿を現すのか、そのことを明確に示す事が出来れば危機感を共有してもらえるのではないか。

ギリシアのような公務員の大量リストラと社会保障の大幅な削減が突然やって来るのではないのではないか、と私は最近考え始めた。

延々と進行する円高が、地方の工業が少しずつ枯れ始めた。工業が「外貨」を稼ぎ、地方の商店に還流させてきた地方経済は、今少しずつ死のうとしている。

少なくない地方の若者の派遣化し、地方は昔の「田舎」の姿に戻りつつある。この「円高」が財政の延命措置と何か因果関係があるとすれば、これはその姿の一つ、と言えるのではないか。