ニューヨーク市財政の軌跡つづき

同書の後半はニューヨーク市の不動産事情についてである。
住民の増減が財政に大きな影響を与えるのは、洋の東西を問わないようだ。

我が国においては、住宅問題対策施策を組織的に取っている自治体は少ない。我が国の自治体行政が、財政対策として住宅施策を重視していない。というか、思いつきもしないのかもしれない。住民税が主要財源であるにもかかわらず、だ。そういう分析をする習慣が日本の地方公務員には無いのだろう。

商店街振興を真剣に考えると、必ず家賃の問題に行き当たる。家賃が不合理に高いことが商店街低迷の主要因である。しかし、家賃の問題にまで思い当たっていない自治体もかなり多い。公務員が決算書を読めないのがその原因の一つだ。
自治体において、創業時に家賃に補助をする形態が多いが、ニューヨークでは家賃を抑制する形での制度化が図られた。そのことが「世界都市ニューヨーク」という特殊な土地柄から、大変な事態を招いたらしい。
以下、参考までにメモしておく。



 家賃上昇が問題になったのは30年代から。混乱が発生するのは60年代の家賃規制とインフレの発生時期。サウスブロンクスのスラムの映像が世界に流されたが、同書からはそんなことが何故発生したのかの一端をうかがい知ることが出来る。

1.ニューヨーク市の住宅事情の特徴
民間賃貸ウェイトが高い・65%。20世紀初頭は88%が賃貸だった。
公的に家賃が規制されている68%が規制下にある

2.規制がかかった理由
(1)急激な移民により家賃の高騰にストライキが発生し、政府に規制の圧力を
かけた。
家賃安定法(35万戸が新たに規制対象に)
(2)2回のインフレ(WW1、WW2)。連邦議会が法制化し、全国に拡大(緊急価格統制法)したが、戦後ニューヨークだけは解除されず残った。家賃規制制度は適宜家賃を引き上げることができるようになったが、市場による価格調整機能は回復しなかった。

3.民間投資が抑制され、スラム化していく。その原因と過程について。
60s末、公営住宅、政府家賃補助住宅に16万世帯、その3,4倍の低所得世帯が民間住宅。家賃規制によって賃金上昇より家賃上昇が遅かった。また、修繕費用の上昇よりも民間投資が抑制されて修繕が行き届かない住宅が増えた。結果的に低所得者層が集まった。
ベトナム戦争化のインフレにより10万戸が放棄され「板で囲われた」「焼け落ちた」ことにより居住不能となった。28万人の住居が短期間に失われたことに相当する。

4.70年代のさらなる悪化
70年代のスタグフレーションによって市政府の不動産市場への介入(家賃抑制)が仇となって需要と供給のバランスが崩れた。
(1)失業率が上昇
(2)住宅の維持コストが急速に高騰
   例:石油価格は430%、総管理費用は131%上昇
(3)中産階級が市外に転居=住宅が大量に供給→余る→価格崩壊
(4)悪循環がはじまる。家賃滞納→管理放棄→住宅放棄
  例:サウスブロンクス
 70から78年の間に4万戸が失われた。サウスブロンクスが最も大きな影響を受け、50年代に11%減少、人口はひどい地区では60%も減少した。

5.各学説による分析

(1)グレイザー(社会学
住宅は面談によって入居が決められる。市場が崩壊した地域では、福祉政策で家賃納付が見込める人の入居が促進された。

(2)タブ(政治経済学)によるクレイザー批判
住宅放棄の原因は家賃規制にあるのではなく、以下の二点。
a.スタグフレーションによる簿価下落による、不動産業者が破綻したことで
ある(金融危機の一環)。
b.都市の構造転換の過程の一部として、住宅資本が引き上げられた。住民が減り、産業と雇用が都市コミュニティから失われたことが原因。

(3)カサーダによるタブ擁護
都市産業構造の転換とアンダークラスの関係を雇用数の変化から分析。ブルーカラーが減少し、ホワイトカラーが増加したが、ホワイトカラーは郊外通勤者となり、都市には高卒以下の「貧困層」が大量に失業して残されたことが裏付けられるとした。貧困層の集住地域と人口減少地域が重なっている。