失敗の本質〜日本軍の組織論的研究

最近読書が止まっていたので、再開する。
同書は失敗の中から教訓を得ようとする意図を持っている。私達が犯した「失敗」には色々あるが、そのうち最大のモノは先の敗戦であろう。

日本軍の作戦の失敗は個別判断や物量の差とされがちである。しかし、日本的組織特有の欠陥については取り上げられる事は少ない。おそらく、現代においてその事を口にする事が、追求の担い手となるべきマスコミ各社や出版社だけでなく、読者となるべき我々自身が所属するコミュニティを批判する事になるからだ。

同書は1984年ダイヤモンド社から刊行され、2011年に45刷が発行されている。著作の当時に将来危機的な状態に陥った際に日本的組織が機能不全に陥ることを警告している事は、今日の事を予見していたとも読める。大変興味深い内容だ。

否、そうではないだろうか。組織そのものはいつかは危機に陥る物なのだ。その時に機能不全に陥るような事がある場合は、その組織のあり方に問題があると随時気づくべきなのだろう。その兆候を見逃さないために、本書は役に立つと考えたため読む事とした。

第1章 ノモンハン事件
「やってみなければわからない」という楽天主義がしばしば見られるようになる。第1次世界大戦を経験せず、初めての近代戦の日本に対し、近代戦を徹底したソ連軍は当初から優位だった。
近代戦の経験を以降に活かす重要な事件だったにもかかわらず活かされなかった。
中国との紛争が泥沼化する中で、ソ連との軍事的衝突を避けたい中央からは、国境紛争時の使用兵力や限度についてはあいまいなままで、実際に起きた時に考えることになっていた。ここに辻正信による満蒙国境処理要領が登場する余地が生まれる。
辻少佐の論理構成は「兵力が過少であるからこそ、ソ連軍の出ばなをくじくことが紛争拡大を防ぐ最大の方法」というものだった。同要領は現地軍植田司令が決裁し中央は発言しなかった。現地関東軍はこれを容認したと解釈した。

第1次ノモンハン事件
外蒙軍の越境を見た小松原師団長は同要領に基づき撃退した。
第2次ノモンハン事件
外蒙軍の越境を見た小松原師団長は同要領に基づく撃退を関東軍に裁可を得た。関東軍の命令で師団が動いた形になった。大本営は度重なる暴走を止めるための命令を出すが、命令伝達者は現地軍の雰囲気に飲まれその役割を果たせず、

結びに、関東軍は植民地支配機構としては優れていた。しかし、支配機構になってからは先頭集団としての機能が低下してしまったと著者は指摘している。

確かに、インフォーマルな関係を重視する日本的組織は、軍官僚同士の派閥争いを起こし易く、結果敵情把握よりも内部調整にエネルギーが注がれ、現状認識についての誤りを正す事ができなかったと言える。

しかし、戦後のG.H.Qはどうだったのだろう。日本統治によって米軍は戦闘機能を低下させただろうか。歴史上そのような軍政と戦闘機能の関係はあったのだろうか。企業を引き合いに出しても、かならずしも各要素がイコールで結ばれるわけではない。だが、敢えて言えば、それは人事や部署の統廃合と営業戦略にあたるだろう。



第2章 ミッドウェイ海戦
戦闘の経過はめんどくさいので書かない。上空に艦爆の侵入を赦したのは、低空の艦攻に迎撃機が集中していたからだ。しかし、それは一つのミスに過ぎない。たまたまそれがミスになったのだ。米軍も艦攻を囮に使う目論みは無かったし、第1回の攻撃は失敗している。経営が混沌とした場合、あるいは相手の戦略、戦術が読めない場合、よりミスが多い方が負ける可能性が高い。ミスのうちひとつが致命傷になるなら、その確率が高いからだ。

この事から得られる教訓は何だろう。
全体の状況がグダグダになった場合、私達は仕事をする気力を失いがちである。「上があんな風なのに、真面目にやっていられない」などという事を口にする者が多い。

ミッドウェイ海戦の犠牲から学ぶ事があるとすれば、全体がグダグダであっても、ミスを減らす事に意味が無いわけではない。ミッドウェイで日本軍が不真面目だったわけではない。それでも相対的にミスが多かったために敗北した。まして、我々においてをや、だ。


失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)